高齢化するクリーニング業界

クリーニング社長は引退できない!?

高齢化するクリーニング経営者

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(高齢者の目立つ地方の組合総会。しかし、これは組合に限らず、業界全体の問題だ)

老人ばかりの組合

 先日、福島県の生活衛生同業組合総会があり、毎年のことなので出席し た。参加者はみな70歳以上、80以上も珍しくないという高齢者ばかり。組合の場合、こういった傾向は珍しくなく、全国どこでも「老人の集会」は当たり 前。今年は震災の影響で、組合事務所での総会となったが、例年は温泉旅館が会場となり、参加者は総会後の温泉、宴会という流れを何よりも楽しみにしてい る。よくいえばのどかな風景で、何も知らない人がここでの宴会を見たら、どこかの老人会だと思うだろう。

 これにはやむを得ない事情もある。組合業者には昔からの職人的発想があり、「体が動くうちは現役」である。年長者を敬う傾向も強く、経験の深い高齢者の意見が尊重される場合が多い。組合には零細業者が多く、後継者がいないため引退できないという理由もある。食っていくためには、仕事を続けなければならない。さらには業者が老人ばかりのせいか、事務局員もさっぱり引退しない。一時全協でもやっていた厚生年金基金の財政事情を知る限り、全ク連の基金財政は最悪、ここにも引退の場を与えられない現実がある。

 

実は大手も……

 こういう高齢化傾向は零細業者に限られた現象なのだろうか?いや、大手業者においても、高齢化は現実の問題である。

 クリーニング業界には、俗に「大手」と呼ばれる人たちがいる。こういう会社の経営者達も、一般社会で定年と呼ばれる60歳~65歳を過ぎてもまだ会社代表の座にあり、采配をふるっていることが多い。実際、70を越えた社長は当たり前、80を過ぎ、なお社長でおられる方々もいる。立派な息子さん達もいて、既に50を過ぎている場合も少なくない。それでも、社長の座を降りない のだ。

 高齢でも仕事を続けること自体は立派である。一時赤字に転落したスズキ自動車は、会長が社長の座に返り咲き、見事に黒字転換を果たした。しかしクリーニングの場合には様子が異なり、社長の座を明け渡すのが嫌で、ずっとしがみついているようにも感じられる。

 会社組織においては、バリバリ健康であっても、いったんは社長を退いて会長になり、俗に「院政」といわれるような状況で後進を指導する、というのが一般的な姿だろう。業種を問わず、その様な会社は多いし、世間体の面からもそれが普通だ。ところがクリーニング業界だけは創業者があくまで「社長」にこだわり、そこから離れようとしない。いいか悪いか別として、これは大変不思議な現象である。

 

実はほとんどが創業社長

 妙に高齢な当業界の社長には、もう一つ際だった特徴がある。それは、ほとんどの方が自ら会社を興した創業社長であることだ。

 日本のクリーニング業界は、昭和40年代、急激に機械化の波を受け、 大手業者が日本中に次々と登場した。そしてそれは、それまで家内興行的な職人世界で仕事をしてきた人々が機械化するというよりも、全く異業種から当業界に参入した人がほとんどだった。「クリーニングは儲かる」と知った彼らは、まずは誰かからノウハウを習い、工場を建て、店舗を次々と開設した。今日、多くの店舗を抱え、業界大手と呼ばれている社長達は、ほとんどがこの昭和40年前後に創業した人々である。

 ということは、およそ日本のこの業界においては、消費者に提供されるクリーニング・サービスの多くが、約50年近くにわたり、同じ社長によって供給されていることになる。他の業種のように後進にバトンタッチしたところもあるが、息子や従業員が成長しているにもかかわらず、みんな揃って社長であり続けるというのは、何か継承を拒む大きな理由でもあるのかと不思議になるくらいだ。特に、「最大手」と呼ばれる業者にこの傾向が強い。高齢社長ほど成功するのでは、ますますこの傾向に拍車がかかってしまうかも知れない。

 

「昭和40年代」経営者の特徴

クリーニングは、現在でも創業時と同じ感覚で動いているのかも知れない。昭和40年代の「世界観」とは、おおよそこの様なものである。

●昭和40年代は高度成長期。会社はどんどん大きくするもの、という発想があった。会社の利益性、福利厚生、社会性など後回し、ひたすら会社を肥大させようという発想は、まさに昭和40年代に相応しい。

●「儲かる仕事だから参入」という後発の思想があるせいか、他社のマネだけは熱心。他社のノウハウ、価格、チラシまでまねる。極端なオリジナリティーの欠如があり、そのせいか現在でもいろいろな「ノウハウ」が販売されている。

●昭和40年代には「適正価格」が存在し、銭湯や理容店と同様に価格カルテルらしきものが存在した。新規業者は低価格で市場を奪ったが、この「安売り」が現在に至るまで延々と継続されているのは、「安くないと顧客は来ない」という固定観念への固執に他ならない。

●創業社長はバイタリティがあり、「ワンマン社長」とも呼ばれるが、それは「傲慢さ」にもつながる。常に「オレが、オレが」という姿勢で、息子も信用せず、代替わりもしない。それは同業他社へも向けられ、競合する同業者とは日本中どこでもことごとく仲が悪い。

●人を信用しない割に、低姿勢ですり寄る資材業者には大変寛容である。太鼓持ちのような業界関係者を「よっしゃ、よっしゃ」と大事にする。ビジネスとしての採算性というよりは、自分のプライドをいかに満足させてくれるかにより、取引が決まる。

●高度成長期は犯罪や公害など社会問題が頻発し、多少悪くても儲かればOKという時代だった。当業界は現在もこれを引きずっている様だ。マスコミにクリーニングが登場すると業界全体が怯える。「コンプライアンスの欠如」は、今も業界に横たわる問題である。

 

新しい時代が……

 全協は昭和46年に組合による法律改悪反対集会を機に結成されたいきさつがあり、結成の時点で各地の組合に所属する業者が多かった。日本のクリーニング史を体験している方々が全協には多いことになるが、私たちの業種は、昭和40年頃に突如ビックバンが起こり、そこからずっと同様な方針、イデオロギーで推移していることになる。

 とはいえ、70代、80代を迎えているこの業界の創業社長達がこの先もずっと社長であることは物理的にも生物学上もあり得ない。何らかの理由でその座を譲るとき、業界は大きく変貌するだろう。

 大変恐縮だが、クリーニング業界で起こっている様々な問題は、ここに 原因があるのでは、とも思える。大手も零細も、全ク連も全協も、そして、まじめな業者も不正業者も、この「高齢化」という点では同様である。今は、とにかく新しい時代を迎える準備が必要である。創業社長達が一斉に世代交代するとき、業界は大きく変わるだろう。