令和温泉探訪記① かみのやま温泉

令和温泉探訪記①

 かみのやま温泉   2024.5.23

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再び温泉へ

 私は20代の頃、あちこちの温泉、とりわけ秘湯と呼ばれる温泉に出かけていき、入浴するのが最大の趣味だった。もともと子供の頃から温泉好きの親に連れられていろいろなところに行ったものだが、20代前半に見たつげ義春の温泉旅行記に影響され、特につげ義春は私が昔親に連れられ行った温泉などを結構訪れているので、ますます温泉にはまった。若い頃青森に行ったのも、実はきっと秘湯がいっぱいだからと思ったからである(実際そうだった)。

 結婚したり子供が生まれたり忙しかったりしてだんだん行かなくなったが、 いろいろ事情があり、再び温泉を目指すことにした。というか、それなりにはいつでも結構行っていたが、まあちゃんと記しておくことも必要かと思う。

 当時と現在とで違うのは、人手不足や過疎化で、秘湯が本当に「秘湯」になっているところもある。こりゃあ維持が大変だぞというのが結構出てきている。そういう意味でも記録は重要だ。

 

奥州三楽郷

 まず行ったのは山形県上山市にある「かみのやま温泉」である。これはメジャーだが、昭和60年に改訂された「全国温泉案内1800湯」というガイド本によると、

 

 松平氏三万石の城下町の面影を留める市街地に湧く温泉。東山、湯野浜温泉とともに奥州三楽郷と呼ばれただけあって、歓楽色が強い。温泉は湯町・十日町・新湯・河崎・高松・葉山の6地区に分かれ、共同浴場も全部で7カ所ある。中でも湯町は鶴脛の湯を呼ばれ歴史が古い。

 

 とあるが、現在ではそんなに共同浴場はやってないようだ。賑やかな温泉街で知られたかみのやま温泉も、次第に時代の波に飲まれている印象だ。

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いざ温泉へ

 まあ温泉に行くといっても、宿泊することは滅多にない。温泉に入るのが目的だが、そうなると共同浴場とかがある温泉は助かる。

 かみのやま温泉駅には観光案内所があって、ここで共同浴場の場所を聞いた。いつも思うのだが、山形県の各観光案内所は職員がみんな親切で、非常に丁寧に応対してくれる。たいしたものだと思う。旅行者もこういう配慮は大変嬉しい。この日も現在は入れる共同浴場は二カ所だということで、両方への生き方を、地図を出して教えてくれた。おかげで簡単に行けたし、駐車場も教えてもらった。

かみのやま温泉街マップ

 この日やっていたのは下大湯共同浴場と二日町共同浴場。わずか二カ所しかやっていないのは、管理する人が不足しているからなのかも知れない。下大湯共同浴場の方が趣があるようなのでそちらを目指した。

 大通り(といっても広いわけではない)からちょっと横に入ったところに目的地の下大湯共同浴場があった。予想通り、昭和レトロな建物である。隣には寺があり、「南無観世音菩薩」みたいなことが書いてある旗がいっぱい立っていてムードを盛り上げている。

 中に入るとすぐに券売機があった。入浴料大人150円と安い。しかし散髪すると散髪料は別に100円必要だという。小さく仕切られた部屋におばちゃんがいて、券を渡していよいよ入浴だ。

 脱衣所には大きな鏡があり、スポンサーが書いてあったが、電話が数字3桁くらいでかなり古いものだった。銭湯の脱衣かごがあったが、ロッカーもあって100円入れなくても鍵がかかるようになっていた。風呂に進むと大きな浴槽に無色透明の豊富な湯が待ち構えていた。浴室の半分くらいの面積が湯船であり、それ以外は狭い。

 お湯は結構熱かった。「ぬるめ」という部分が仕切られており、ずっとそこに入っていた。こっちは顔の湿疹をなんとかしたいので、何度も顔を洗ったり、タオルに湯をつけてそれで顔に当てていた。

 すると、洗髪を希望したじいちゃんが入ってきた。100円払うと、職員のおばちゃんから長さ50センチ近くもある「洗髪札」と赤く書かれたでっかい札が配られる。じいちゃんたちはそれを浴室に持ち込んでくるのだ!ここまで大きく宣言しないと洗髪出来ないのか。これはかなり特色のある制度である。

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久々の温泉に想う

 あんまり長く入っていたわけではないが、まだ昼間だったので窓越しに日光が入ってきた。湯船の湯に当たりキラキラしている。久々にのんびりした雰囲気になった。

 デジャブみたいに、昔はこんなことが多かったのを思い出した。昼間から温泉に入るなんてことも多かった。それこそ数限りなく温泉に入っていただろう。

 昔は忙しそうでいて、今よりのんびりしていたように思える。電子機器等の発達が、私たちの生活をせわしないものにした。山奥にいようと海外にいようと電話はいつでもかかってくる。過去の温泉旅行を繰り返していた頃とはえらい違いだ。

 まあ、世の中が変わっても、こんな温泉は何十年も昔と変わらず私たちを迎え入れてくれる。いつまでもこうだといいが、この浴場を支えているのは間違いなく職員のおばちゃんだ。トイレ掃除も頻繁にしていた。利用者に高齢者が多いことも大変なのだろう。この湯治場は、このおばちゃんが辞めたらもう維持できないだろう。

 風呂には4,5人の先客がいたが、いずれも自分より高齢と見えた。この人たちはどんな人生を送ってきたのかと夢想するとともに、自分はあと何年生きるのか、などと考えた。人生もうカウントダウンか・・・。若い頃は悩みながらあちこちの温泉を放浪したが、悩みながら、という点では今も変わらないのだ。

 

※斎藤茂吉記念館

 上山市には当地出身の歌人にして精神科医、斎藤茂吉の記念館がある。斎藤茂吉の名は学校で習った程度だが、記念館は大変立派なもので、斎藤茂吉についてかなり網羅した素晴らしいものであった。

 しかしここに来て初めて知ったのだが、この歌人は婦人と別居中の時期、弟子の美女と同棲生活に入り、歌人なのにもはや狂歌とも想えるような恋文を残している。見初められた女性は写真も残っていてすごい美人!これじゃあいかに著名な歌人でもどうにかなるなと思った。

 その方は茂吉から「手紙は読んだらすぐに焼き捨てるように」と命じられていたが保存し(ま、そうだよな)、茂吉没後10年後に雑誌に公開した。作家ってそういう運命が待っているような気がするが、大変素晴らしい記念館でした。