最後の巨匠 アルド・チッコリーニ

最後の巨匠 アルド・チッコリーニ

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山形でのコンサート

 12月11日、山形市の山形テルサで、イタリア人ピアニスト、アルド・チッコリーニ氏のコンサートが行われた。コンサートは復興支援コンサートとして行われ、収益金の一部はコンサートが行われた山形県ではなく、福島県に寄贈されるという。

 今年6月、クラシック音楽のプロモーション会社から私のところにオファーがあり、この巨匠のチャリティー・コンサートを主催しないかと誘われた。しかし、その時点で10月に行われた「ばんだい高原国際音楽祭」の協賛が決定しており、一年に二回もコンサートはできないと連絡し、残念ながらチッコリーニ氏招聘は断念した経緯がある。その時点ではチッコリーニ氏のこともよく知っておらず、電話で言われただけだったので、そこまではできないと思ったのである。しかし、それを山形県が受けた。チッコリーニ氏は現在87歳。ほとんど車椅子で移動する様な高齢の方である。そういう方が、福島県の復興のために協力したいというのだ。自社での主催はできなかったものの、これは行かないわけにはいかない。

 今年は12月としては珍しく雪が多く、福島から車で行ったものの、雪がしんしんと降り、真っ白な中を運転するのは大変だった。雪は夜まで降り続き、公演としての条件はかなり悪かったと思う。

 しかし、会場の山形テ ルサは約700席がほぼ満員。ピアニストとして著名な方だけに、首都圏などからも駆けつけた客が多かったという。会場もなかなか立派なホールだった。東京から300キロ近く離れたこの場所、そして深々と降る雪の中、これだけの人が集まったのは素晴らしい。それだけ巨匠への期待が大きいのだろう。

 係員の女性が多い。そういう人達が会場を回り、携帯電話の電源を切るようにとか注意書きが書かれたプレートを持って説明している。ずいぶんと慎重な対応だ。親切といえば親切ではある。あまりこういうコンサートに慣れない聴衆への対応なのかも知れないが、ここまでするのには驚いた。その甲斐もあって、山形の皆様のマナーはすごく良かったと思う。

 

フルトヴェングラーとの共演

 パ ンフレットにチッコリーニ氏のプロフィールが書かれている。氏は名前から想像が付くようにイタリア人、しかしずっとフランスに住んでいるという。蒼々たる 共演者の名前が記載されている。ピエール・モントゥー、エルネスト・アンセルメ、ロリン・マゼール、セルジュ・チェリビダッケ、ウィルヘルム。フルトヴェングラー……えっ、フルトヴェングラー!?

 驚くことに、チッコリーニ氏は私の尊敬してやまないフルトヴェングラーとも共演していたのだ!年齢的なこともあり、もしや、とは思っていたが……。これはいやがおうにも期待が持てる。

 

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(写真はパンフレットより)

超人の響き

 やがて定刻の7時を迎え、会場が暗くなってステージのピアノに目が注がれる。左手のドアから注目のチッコリーニ氏が登場、小柄で87歳のチッコリーニ氏は杖をついてピアノに向かい、かなり大変そうだ。なかなかピアノにたどり着けない。しかしそれに対し、聴衆は万雷の拍手を注ぐ。大演奏家に対する敬意とともに、高齢をおしてピアノに向かう巨匠への尊敬の念も強く感じられた。やがてマエストロは椅子に座り、ゆっくりと杖を立てかけ、コンサートが始まる。

 ピアノの響きが会場の空気を満たしていく。最初はシューマンの「子どもの情景」曲調はどちらかというと地味で、最初のうちはさほど感動しなかった。特に、弱音部に特徴がある印象なので、耳を澄ませて聞いていると、会場の音響が良すぎるのがかえってアダとなり、客の咳払いが聞こえてきたりして若干興ざめした。しかし朗々とした響きには、常人にはできない巨匠ならではの重みも十分に感じられた。

 やがて有名な「トロイメライ」のメロディーが流れる。このとき私はハッとした。

 この響きこそ、かつて、フルトヴェングラーらの時代の音だ!昔のレコードだから、録音設備の関係でこういう音になっているのだと思っていたら、そうじゃない!生音で本当にこういう音が出せるのだ!これはまさに音楽が神聖であったときの音だ。音楽が思想、心情、感情、すべてに影響を与えていた頃の音である。レコードなど、ほとんど機能しなかった時代から演奏を重ね、そのたびに人々を感動させてきた人だから出せる音ではないのか。ハッキリ言って参った。この年には10月に当社も協賛した「ばんだい高原音楽祭」で二人の若手バリバリのピアニストがやってきて、はつらつとした演奏を聴かせたが、残念ながら彼らはこの音に全く及ばな い。87歳の年輪を重ねた重厚な響きの前には霞んでしまうほどだ。若手二人が悪いというのではなく、チッコリーニ氏が超人的なのである。

前半はこの「子どもの情景」の後、ショパンを二曲続けて演奏し、一気に終了した。

 後半はドビュッシーの 前奏曲第一巻。この中の第8曲「亜麻色の髪の乙女」には深い思い出がある。若い自分、女房がこの曲をピアノでスラスラ弾くので、結婚を思い立ったのであ る。思い出の曲を最高の演奏で聴けるのは感激だ。第12曲まであるが、「亜麻色の髪の乙女」もさることながら、第10曲「沈める寺」の響きなど、尋常ではなかった。こういう有名な曲でも、やはり大演奏家は唖然とするほど感動させる演奏をするものだ。圧倒的な感動を持ってコンサートは終了し、高齢で大変なの にカーテンコールを何度も繰り返し、アンコールを二曲行った。

 感想を述べると、最初に見たときの高齢者の装いは、大丈夫かな、という感じだった。ところが、ピアノの音が響くと、天から音楽の神様が降ってきて、超人の音を奏でるのである。 87歳の老人に、神様が乗り移って1時間以上のコンサートを続けていた。神様光臨の響きはまさにピアノの音を超越していた。私の人生で最も感動したコンサートだった。

 

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巨匠の目に涙

 コンサート終了後、私はバックステージへと向かった。幸い藍インターナショナルの山崎さんがいて、すんなりと私をチッコリーニ氏の楽屋へ通してくれた。ドアを開けると、正面に椅子に深々と座ったチッコリーニ氏がマネージャーとともにいた。

「マエストロ!」

 感極まった私は涙目で歩み寄った。氏は手を差し伸べ、握手してくれた。

 しわがれた手は、まさに87歳の老人のものだった。もう、普通の老人の手に戻っていた。さっきまで神が宿っていた痕跡は感じられなかった。神様は演奏終了と同時に、天へ帰っていったようだ。

 87歳にして1時間以上の演奏を成し遂げた巨匠はもはや疲労困憊といった様子で、ほとんど会話をするような状況にもなかった。深々とソファーに座り、一歩も動けない。放心しているようにも見えるくらいだが、この年であれだけの時間、神経を集中していれば当然だ。ある意味命がけのコンサートなのだ。それがチャリティーであることを思えば、頭が下がる。

 注目のフルトヴェング ラーとの共演は、ベートーベンのピアノ協奏曲第4番だったそうだ。この曲にはフルトヴェングラー指揮でコンラート・ハンゼン、スカルピーニらとの録音記録が残っているが、特にコンラート・ハンゼンとの戦時中の録音は名演と称えられている。もし、チッコリーニ氏との録音があれば戦後であるはずで、録音はずっと良くなっていたと思う。若き当時20代のチッコリーニ氏は、どんな演奏をしたのだろうか?

 「鈴木さんは福島から来たんですよ」

 山崎さんがチッコリーニ氏に伝えると、なんと、巨匠は涙をこぼし、私の手を握った。被災地である福島から来たことが嬉しかったのだろうか?ともかく私も感激した。

 かつてかなりの高齢でありながら、なおも芸術への情熱を燃やし続ける方として、映画監督にして脚本家の犬塚稔氏にお会いしたことがあったが、たとえ高齢であっても、こんな素晴らしい人生を送れるならいい。帰り道、深々と雪が降る山形の道路を歩きながら、私はいつまでも感動に打ち震えていた。