変化した市場
クリーニングという仕事を考えた場合、顧客がいる場所、すなわち、市場がどこにあるのかに大きく左右される。私たちは顧客、ニーズを求め、いつもそれを探している。
インターネットの登場により、大きく市場が変化した業種がある。書店はネット購入が普通となり、旅行代理店はネット予約に市場を奪われた。幸い、クリーニングが受けた影響は少ないが、私たちの世界にも市場の変化は現れている。今回はそれを考察してみたい。
生業の時代
明治時代、ドライクリーニングの技術が日本に伝わると、それは文明の発達とともに、日本中に広がっていった。当初、クリーニング業を志す人々はまずどこかの業者に丁稚奉公し、労力を提供することの見返りにクリーニング技術を習得することで技術者が増えていったのである。
こういった時代の徒弟制、職人型思考というものは現代にもまだ残っている。クリーニング師の試験は60年前のアイロンを使用しているし、それを判定する試験官は「先輩」の業者である。筆記試験の内容も半世紀ほどほとんど変わらない。ようやくなくなったが、ちょっと前までは、クリーニング師試験を受験する条件として、クリーニング所への3年以上の在籍というのがあった。ここだけが世の中から放置されたように、そのままの姿をとどめている。
昭和32年に結成された環境衛生同業組合(現・生活衛生同業組合)も、当初はシェアも高く、ほとんどの業者が加盟していた。各都道府県で行われる年に一度の総会では、参加者が多すぎて、会場探しに一苦労ということもあったのである。
また、昭和30年以降のこういう業者達は、高度成長の中、増え続ける需要の中で、あぐらをかいていたのも事実である。クリーニングは、最初の間、すごく儲かる商売だった。各業者は慢心し、次の時代への対応をしなかったといえるだろう。
取次店時代
昭和40年頃になると、欧米から生産性の高い洗濯機や乾燥機、仕上げ機が持ち込まれ、それらはやがて国内からも生産されるようになった。一方、九州地方から取次店システムが持ち込まれ、高い生産性とともに、多くの品を集荷するノウハウも伝わり、業界は一気に変化した。これまで徒弟制度の中で仕事をしていた業者達の中から、工業地に工場を作り、街中にたくさんの取次店を作る業者が登場した。取次店時代の到来である。
「クリーニングは儲かる!」となり、この時代はたくさんの業者が参入した。クリーニング業者の中に、昭和40年代創業の会社が多いのはそのためである。まだ続いていた高度成長期の中、彼らはそれまでよりも安い単価でサービスを提供し、既存業者からシェアを奪った。
それまでは、クリーニングは裕福な家庭のお勝手口からご用聞きでうかがうものだったが、単価も下がったことにより、ほとんどの家庭の人が利用することが出来た。当時は「一億総中流」という言葉が流行ったとおり、それまでは高級品とみなされていた食品、家具、電化製品などが、どんどん安くなり、庶民の手に届くところに降りてきた時期でもあった。クリーニングも他の産業と同じように誰にでも利用されるようになったのである。
取次店システムは海外のどこよりも日本で発達し、日本は世界に冠たるクリーニング大国になった。
ただ、取次店もいいことばかりではなかった。安直に量産された取次店は、教育が行き届かず、杜撰な受付によってクレームが増加した。世界一のクリーニング大国は、クレーム大国にもなったのである。
テナント時代の到来
クリーニング需要は平成5年をピークとして下り坂の時代になった。ちょうどその頃、日本中の郊外に、次々と大型スーパーやショッピングセンターが建てられた。商店街は次第にその機能を失い、それに取って代わったのが郊外型ショッピングセンターである。
これらは、必ずクリーニング店のテナントを入れた。多くの集客が見込めるスーパーのテナントは大変な売上が見込まれる。クリーニング店はこぞってスーパーのテナント入店を希望した。
その間、既存の取次店は次第に勢いがなくなっていった。商店街に取次店があっても、周囲の集客がなくなるばかりでは多くを望めない。テナントはたいてい直営店なので、きちんと教育を受けた店員がいる。客を奪われるのは当然だった。
この様なわけでクリーニング業界は、生業時代、取次店時代を経て、テナント時代に突入しているといえるだろう。かつては大都市の中でしかテナント運営は難しかったが、「ファスト風土化の時代」により、日本中でテナントへの移動を余儀なくされてしまったのである。自由な営業を目指し、テナント入店を嫌う会社も希にあるが、出店する場所はやはり大型小売店の近くなど、いわば 「準テナント」のような所が多い。市場の移動に伴った出店であることに違いはない。
テナント時代の弊害
しかし、この「テナント時代」はクリーニング業者にとって良いことばかりではない。
まず、採算性である。かつての取次店は、売り上げに対する歩合を払うだけだったので、ほとんど変動費で賄うことができた。直営店はテナントへの家賃と光熱費がかかる上、店員の人件費がかかってくる。このため、取次店の時代と同じ売り上げでは、利益の幅が全然違ってくるのだ。どこの業者もテナントには入りたいので、ここは完全に売り手市場となり、家賃は上がる一方。売り上げに応じて高くなる歩合家賃にしているところも少なくない。特に人件費に関しては、ほとんどが365日休みなし、長い営業時間のところばかりなので、どこもが完全に方に合致した雇用が行われているかどうか疑わしい。
営業時間も、小売店側に合わせなければならない所がほとんどである。工場はほとんど毎日フル稼働になり、人の集まらない土、日曜日に入荷が集中し、会社は人集めに苦労する。食品などを納めている業者達は基本的に土、日に食品を製造する必要はないが、クリーニングは需要のある時に工場を稼働させねばならない宿命がある。その点で他の産業と事情が違うのだ。この業種が外国人研修生を多く採用する理由もここにある。
サービスのあり方も大きく変わった。小売店はクリーニングを集客の手段と考え、早い納期と低価格を要求する。「あなたの会社は、アピア式か?トヨタ式か?」などと、生半可な知識をひけらかす開発担当者もいるが、結局はどこもクイックサービスをするようになる。サービスの方法まで影響され、一元化されたのである。
また、小売店側が企業コンプライアンスを守る正当な姿勢でいるかと言えば、必ずしもそうではない。サラリーマン向けの週刊誌などは、食品を納める業者達が値段を買いたたかれ、ディスカウントのためにほとんど利益もないまま奴隷のような状態であることがよく報じられる。バイヤーへの接待なども強要されるという。あまりにも厳しい条件を突きつけられ、結局は中国産の品を国産と偽った・・・というのが食品偽装問題である。
クリーニングの場合も、スーパーに選ばれるため、彼らの厳しい要求に応えるため、一部の業者が商業地、住宅地に工場を建設した、というのが建築基準法問題である。
検討の必要も
この様なテナント時代に関しては、「何を今更・・・」と思われるかも知れないが、市場の移動という重大事項に対し、対応に成功した業者だけが生き残っているとはいえるものの、店員の雇用状況や契約条項など、すべてが先方任せになっていて、こちら側の足並みが揃っているとは思えない。これだけの大きな問題であるので、一度真剣に考えてみるのも良いかも知れない。
今や直営店の時代(写真はイメージです)