正道・日本クリーニング業界史

正道・日本クリーニング業界史

 日本クリーニング黎明期

 着用する衣料品を洗うという行為は四大文明の頃からあったが、近代になり、衣料品やその素材の多様性が顕著になるにつれ、水洗いできない衣料品は、19世紀にフランスで偶然発見されたドライクリーニング(衣料品を水以外のもので洗うこと)の技術により洗濯されるようになった。

 ドライクリーニング は、日本には明治時代以降伝わった。日本では昔から洗張りの技術があったが、生活の洋風化に伴い、洋服を洗うクリーニングとしてドライクリーニングが全国に伝播した。近代クリーニングはまず商船が立ち寄る港から伝わった。「クリーニング発祥の地」の碑が横浜市にあるが、一説には神戸ともいわれており、真偽は不明である。当時、クリーニング技術は職人の仕事として伝わり、クリーニングを志す人々はまず先輩の店に丁稚奉公して技術を習い、やがて独立するという 手法が一般的だった。これは、昭和30年代までこの世界の常識だった。

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最初期のドライクリーニング洗濯機。昔は複数の業者が共用することも多かった。

 

組合の結成

 昭和32年、当時の厚生省(現厚生労働省)は環境衛生に関わる業種に組合の結成を促し、クリーニングにも組合が生まれた。各都道府県にクリーニング環境衛生同業組合(現・生活衛生同業組合)が設立され、当時の業者はほとんどがこれに加盟した。これらを東京にある全国クリーニング環境衛生同業組合連合会、全ク連がまとめる形と なった。業界は一本化し、他の環境衛生業である理容、旅館、銭湯、すし屋などと同様、一枚岩でまとまった。

 この当時、クリーニン グ業を志す人には丁稚奉公して独立、という一つのパターンしかなく、高度経済成長期の中でクリーニング需要はうなぎ登りであり、業者が増えたりすることには何の問題もなかった。ドライクリーニング設備は高価で、開業当初の業者達にそれを購入する余裕はなかったが、先輩業者はほとんど無償で独立した弟子達に 貸し出し、師弟関係は揺るぎなかった。業界は安定した状況にあった。

 

クリーニングの産業革命

 しかし昭和40年代に なると、業界に大きな変化が起こる。それまで職人の世界だったクリーニング業界に、産業革命が起こる。この時代、大量生産が可能な洗濯機、仕上げ機が次々と開発された。それまで、ワイシャツは職人がアイロン一つで一時間に10枚仕上げれば一流とされていたが、素人のパートタイマーが二人いれば楽に100枚以上の仕上げが可能になった。また営業形式に関しても、大量生産の可能な工場を作り、その周囲に受付だけをする取次店をたくさん作る日本独特の方法が考案され、全国に広まった。

 高度成長期の中、ク リーニング需要は増加の一途をたどっていた。そうなるとクリーニングは儲かるとなり、多くの人々がこの業界を目指した。昭和40年代に業界入りした業者の 多くは誰かからノウハウを学び、最初から工場を作る方法で仕事を始めた。この時代より、旧来のアイロン一丁で小さな店一つで仕事をする業者を「個人」、工 場を作って取次店や営業者をたくさん抱える業者を「大手」と呼び、「個人」と「大手」で大別されるようになった。大手業者は高い生産性を武器に価格を安く 設定し、どんどん発展していった。

(補足:業界紙ゼンドラ2013年 7月1日号によれば、こういう時代に機械化して大手となった業者の中には、かつて集団就職し、どこか都会のクリーニング店に丁稚奉公し、ろくな給料も与え られずに辛酸をなめた人物が多かったという。この様な業者には少なからず既存の職人型業者に対する恨み、対抗心があったものと想像できる)

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クリーニング工場の様子。流れ作業やオートメーション化により、生産性は大幅に向上した。

 

業界の対立

 大手業者の急激な進出 は、それまで安閑としていた職人型の個人業者達には脅威となった。大手業者は価格も安く、納期も早く、顧客を次々と奪っていく。このため、個人業者は大手 業者の進出を妨害するようになった。大手業者が組合に加盟しようとしてもそれを妨害し、また、個人業者が新しい技術を取り入れて事業を拡大すると、組合か ら閉め出したりした。個人業者の妨害行為はエスカレートし、ときには暴力的な問題にまで発展した。伝え聞く話では、嫌がらせはかなりひどかったという。筆者も子供の頃、ワゴン車の営業者を走らせ始めた当社に組合員が10名ほどで押しかけてきて「今すぐやめろ」と迫られたことを覚えている。このように、ク リーニング業者は自由競争を無視した偏狭な縄張り意識を持つ特徴があり、それは現在でも続いている。

 クリーニング師を巡る攻防も繰り広げられた。作業場を持つクリーニング所を開設する際、必ずクリーニング師が必要となる。クリーニング師は国家資格であり、毎年一度各都道府県 で行われる試験に合格すれば取得できるが、試験官は既存の組合業者であり、裁量は彼ら任せ。そうなれば、商売敵である大手業者の社員を簡単に合格させるとは思えない。

 また、大手業者は一つ工場を建てると周りにたくさん取次店を開店させる営業形式を取っていたが、全ク連は、この取次店にことごとくクリーニング師を置かなければ営業できない法案を成立させようとした。当時、工場が一つあれば取次店は何十軒も作るのが普通だった。その取次店にすべてクリーニング師を置くことなど不可能である。も しこの法案が通れば、大手業者は大変なダメージを負わされる。大手業者は結託し、反対運動を起こした。昭和46年、反対集会から派生して大手業者の団体ま で設立された。これにより、クリーニング業界の個人(組合)対大手という対立構図が明確になった。

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クリーニング業法改悪の反対集会の様子

 

大手の躍進

 その後もたびたび組合側の、大手業者への発展妨害と取れる行為がいくつかあった。平成7年にはクリーニング師及びクリーニング従事者への三年に一度の講習会参加義務なども決定されたが、これには罰則規定がなく、大手はほとんど無視している(2010年には民主党政権の事業仕分けにより講習の廃止が決定されたが、現在でも続いている。講習会を主催する全国生活衛生営業指導センターは厚生労働省の天下り先であり、そちらへの批判もある)。

 従来の職人型の個人業者は、仕上げやしみ抜きの技術には秀でていても、当時、一億総中流と呼ばれた一般市民への需要には応えられなかった。庶民は安く、早いクリーニング店を選んだ。大手業者は次第に勢力を拡大し、徐々に組合系個人業者の市場を奪っていった。1980年代頃になると市場はほぼ大手業者のものとなり、街中に見られる繁盛店はほぼ組合員以外の大手業者の店舗ばかりとなり、1990年 代、取次店から直営店の時代(平成に入ると各地に大型スーパーマーケットが開店し、それらのほとんどにクリーニング店がテナント出店し、直営店となった) が来ると、その傾向は一層顕著となった。日本のクリーニング市場はほぼ大手業者ばかりのものとなった。昔ながらの個人業者は次第に脇へ追いやられ、後継者 もなく老朽化していった。

 

居座る全ク連

 しかし、大手業者がど んなに現場の市場を席巻しても、厚生労働省は相変わらず全ク連のみを指示し、市場の大部分を大手業者が占める現状には目を向けなかった。厚生労働省は、生活衛生営業指導センターなどの天下り先を抱え、蜜月の全ク連を中心とする現行体制は一部の厚生労働省職員にとっておいしい存在。それをみすみす逃す手はな い。

 各都道府県にある全ク連傘下のクリーニング組合は、組合員の減少と高齢化によりどんどん衰退している。クリーニング業は職人時代の習癖により、高齢になっても引退せずに現役を続け、いつまでも仕事を続ける傾向がある。そういう環境で残った高齢者が各組合で理事長を務め、勲章をちらつかせられてイエスマンとなり、現行体制を継続させている。全ク連は毎月機関誌を発行しているが、そこには、クリーニング業界はすべてここが取り仕切っているような非現実的な記事が並べられている。

 この様に、日本のクリーニング業界は、行政側の都合により、市場の大部分を占める大手業者よりも、零細業者ばかりの組合業者が業界の代表であるというような、いびつな発展を遂げており、それは現在まで続いている。

(補足:全ク連傘下の組合員の多くは、年商1千万円以下、消費税も免除されているいわば社会的弱者。2012年度は会員もピーク時の2万人から半分になり、1万人を割っている。それでも全ク連は毎年最高級ホテルで総会を行っている。)

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四谷にある全ク連事務局

 

大手業者の過当競争

 大手業者の大部分が組合に未加盟、しかもほとんど行政の管理や指導がないとなれば、各業者は抑制するものがなく、どんどん発展する。各地域で勢力を伸ばす大手業者はその商圏を広げ、勢力を拡大していった。その勢いは激しくなり、自分の県では飽きたらず、他県にまたがって拡大する業者も登場した。そうなると大手業者同士の対立も 強くなった。

 全国の大手業者は、昭和47年に起こったクリーニング業法改正のときには一つにまとまっていたが、自らの商圏を荒らされるようになると憎しみ合い、対立がひどくなった。特に、この業種の人々は近隣のライバルに対する敵愾心が強く、黒字で安定した健全経営というよりも、相手より大きく、派手な会社にしたいという「見栄」、「虚栄心」に偏る傾向があり、それが会社規模の拡大にもつながった。各業者は顧客を取り合い、ライバルに対して価格を下げて対抗したため、全国的に価格競争が激しくなり、クリーニング料金は消費者動向というよりは競合他社の価格によって決められるようになった。また、全国規模のグループなども結成され、強い結束 力を持って他の会社に負けまいとした。

 この傾向は、1995年 頃になると一層激しさを増した。この時代、スーパーマーケットなどの小売業界における出店ラッシュが始まり、日本全国あちこちにスーパーやショッピングセ ンターが作られるようになった。各店にはほとんどがクリーニング店をテナントとして入店させたが、このテナントに入りたいクリーニング業者が出店合戦を繰 り広げた。集客力の高いスーパーに入れば、自然に売上も上がる。各社は何とかスーパーに入ろうと必死の競争を行ったが、家賃も高くなり、それはクリーニン グ業者の財務内容を悪化させる結果ともなった。従来からの価格競争にテナント入店合戦という要素が加わり、クリーニング業界は消耗戦となった。

(補足:大手業者は取次 店やワゴン車による営業で規模を拡大したが、その時代には営業所、営業車への報酬は歩合給だけだった。テナント入店すると家賃、共益費の他に店員の人件費 がかかり、利益性は以前よりもはるかに低下している。見かけの派手さとは裏腹に、内容の悪化したクリーニング会社が多いという。)

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クリーニング店のチラシ。価格勝負が続く。

 

モラルの低下

 従業員を何十人、何百 人と抱える大手業者どうしが行政指導など制約するものがほとんとないまま自由に競争する時代が続くと、なかには卑怯な手段を使ってでも相手に打ち勝ちたい と思う者が出てくることは不思議ではない。そういう業者達が徐々に増え始め、業界では明らかに「裏ノウハウ」とも取れる「反則技」が見え始めた。モラルの 低下である。

 1999年、 小学館の婦人雑誌に、「洗ってないクリーニング」の話題が紹介された。記事によると、「あるクリーニング・チェーン店では、顧客から預かった衣料品を汚れているものといないものわけ、汚れていないものはタンブラー乾燥機で廻すだけの作業」というのである。事実であれば大変な問題だ。業界有志が小学館へ行っ て事実確認を行ったが、記事は紛れもなく事実とはいうものの、守秘義務をタテに、業者名を聞き出すことはできなかった。この問題は当時のクリーニング業界で大きな話題となったが、事実解明を避けたい勢力が明らかに存在し、全ク連も一切無視を決め込んだ。厚生労働省認可の団体でありながら、業界の問題には何ら関わらないのである。

 モラル低下による弊害 は、作業の手抜き、ごまかしなどサービスに関わるものから、行政への虚偽、不正な追加料金などが伝わった。この様な裏ノウハウは、「悪貨は良貨を駆逐する」の例えどおり、誰かが始めると伝染病のように周囲に伝わっていく。業界全体のモラル低下を呼んだ最大の原因は、業界が全くまとまらないことにあり、天 下りにばかり関心がある監督官庁にも十分な責任があると思われる。

 2002年 には九州で低価格クリーニングを展開していた業者が週刊誌に「誰も知らない汚れたクリーニング商法」なる見出しで糾弾された。マスコミにクリーニングが扱 われるときは、いつも悪い書かれ方をすると業者達は警戒するようになった。このことは、クリーニング業界が一般消費者とのつながりを遠ざける傾向となり、 クリーニングのブラックボックス化(クリーニング業者は、実際にはどんな仕事をしているのかわからないということ)に拍車をかけた。

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1999年と2002年に週刊誌に報じられたクリーニング業者を批判する記事。左側は洗ってないクリーニング業者を糾弾、右側は不可思議な追加料金の内部告発。

 

クリーニングの建築基準法問題

 2009年7月、業界売上第三位というクリーニング業者が建築基準法違反によって摘発された。同年12月、今度は第二位の業者も摘発された。彼らは行政に虚偽申請を行い、住民の危険も顧みず、不正な工場を全国に何十軒も展開したのである。

 ドライクリーニングで は石油系溶剤を使用する。この溶剤は引火し、爆発の恐れがあるため、人の集まる商業地、住宅地での使用が禁じられている。しかし、人の集まるところに工場 を建てれば、付随する店舗の売り上げがかなり見込まれ、収益性が大変高い。ところが、石油系溶剤を使用すれば法律違反になる・・・悪質な業者は、行政には 非引火性の溶剤を使用すると嘘を付き、不正を次々と重ねていったのである。

 摘発された業者達は 「みんな不正しているじゃないか」と開き直った。実は、多くの業者達がこの建築基準法違反に手を染めていたのである。大手業者たちは激しい競争があり、まともにやっていたのではライバルに勝てないと考えた者も多かった。そこで、行政を欺く不正なノウハウが蔓延し、多くの業者が違反行為を繰り返していたのである。大手業者達にとって、建築基準法違反は業界のタブー、共同謀議ともいえる仕業だったのだ。

 そして、昔から操業する街中の小さなクリーニング業者達も、悪意性はないが違反である場合が多かった。全国で用途地域が決定したのは昭和45年頃だが、それ以前より操業していた業者達には既得権が与えられた。しかし、行政が何十年も放置するうち、業者達は家を建て替えたり移転したりして既得権を失った所も多かった。彼らの多くは組合員だが、全ク連はこういう業者達に注意を与えることもなく放置していた。

 2010年、国土交通省は全国のクリーニング所を調査、50.2%、約半数が違反だという結果が出たが、最初の業者が摘発されてから国土交通省が調査するまで約半年あり、この間に是正した業者も多かった。50.2%の業者達は、大半が改善したくてもできない零細業者ばかりだった。

 厚生労働省が唯一認め る全ク連は、大半の業者が違反だったという異常な状態であるにもかかわらず、責任も取らず、役員は今も居座っている。各都道府県にはそれぞれ傘下の組合が あり、それぞれに理事長がいるが、この理事長らにも違反業者が多い。これでは、クリーニング業界は法律にも従わぬ反社会的な集団であるといわれても反論で きない。

 クリーニング業界に起 こった建築基準法問題は、日本のクリーニング業界が、世界で一番クリーニングを利用してくれる顧客への裏切り行為であり、悪質なクリーニング業者がいかに 反社会的であったかと世間に知らしめた事件であったといえるだろう。そういう意味でこの問題は、不真面目極まりないクリーニング業界への天誅だったともい える。

(建築基準法問題の詳しい内容はこちら

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2009年7月、業界三位の業者が建築基準法違反を故意に繰り広げ、会社を発展させていたことが発覚、これによって芋づる式にクリーニング業界全体の違反行為が発覚した。

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建築基準法違反業者が商業地に出店するため、行政に虚偽申請した書類。全く同様なことを他の仲間の業者も行っており、「裏ノウハウ」がまかり通っていたことをうかがわせる。

 

新溶剤ソルカンドライ

 建築基準法問題の発生 により、全業者のうち、94%が使用していた石油系溶剤が法的には使えなくなる業者が多かった。石油系溶剤は引火性であることが問題なので、非引火性ならばとなり、それまでほとんど使用されていなかった「ソルカンドライ」と呼ばれる溶剤が注目された。ソルカンドライはフロン系の溶剤で、沸点が40度と低く、乾燥に時間がかからないのが魅力だが、洗浄力が低く、価格も高く、洗えない品も多く、溶剤としての魅力は低い。それでも、違反している業者にとっては 逃げ道はこれしかない。以前よりこの溶剤専用の洗濯機を販売していた業者は増産体制に入り、それまで製造していなかった別の会社までソルカンドライ洗濯機 を販売した。

 多くの業者がソルカンドライへの転換を図る中、最初に摘発された業者は、行政指導された工場のうち、10数カ所でこのソルカンドライへ転向、「環境にやさしい溶剤」などと逆宣 伝した。不正をして改善させられたのに、この開き直りには業界でも呆れる声が多かった。また、厚生労働省はこの溶剤に対し、税制優遇措置を発表、違反状態 の業者を救済する姿勢を示した。こういう厚生労働省の措置は、自らの落ち度を国の力を持って補うような姿勢にも思える。ともかく業界は、新溶剤ソルカンド ライへの期待を感じさせた。

 しかしこのソルカンドライは、実名HFC365mfcという純然たる温室効果ガスである。フロンガスはオゾン層破壊という問題を持つものが多いが、オゾン層破壊係数がなくとも、温室効果を持つ。違反した業者などは、単純にオゾン層破壊係数ゼロというだけで、「環境にやさしい」と宣伝していた。こういう愚かで無知蒙昧な業者はともかく、厚生 労働省までもが税制優遇措置まで駆使し、無知なクリーニング業者に温室効果ガスを薦めたのは異常な状況である。環境団体は声明文を発し、クリーニング業界 の急激な温室効果ガス増加を非難している。

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展示会にてソルカンドライを大々的に販売するクリーニング資材業者のブース

 

負の連鎖

 日本のクリーニング業界は全くまとまりがなく、問題が多いが、そういった事実を世間に知られるのは既得権益を持っている人々にとっては避けたい。そこで、全ク連は「クリーンライフ協会」なる団体を立ち上げ、他の団体も参加させている。

 しかしながら、この団 体はほとんど全ク連の影響下にあり、他からの意見は反映されないという。それでもこの団体はことあるごとに「クリーニング業界の大同団結」とアピールし、 実際はバラバラであるクリーニング業界が「大同団結」でまとまっている、と世間に思わせて(錯覚させて)いる。いわばこの団体は、実際にはほとんどシェア のない全ク連が、他の団体を寄せ集めて形だけのシェアを確保しているに過ぎず、その存在は上層部の既得権益を守るため、世間を欺くための団体ともいえる。

 このような有名無実な団体が存在することは、結果的に社会に不正なクリーニング行為が増えることを助長する結果となる。この団体が監督官庁に「クリーニング業界は平穏無事ですよ」というポーズを取ることにより、市場で消費者をだますような行為があっても、その情報が全く伝わらなくなるのである。

 2013年、 消費者団体が悪質なクリーニング行為について顧客に注意を喚起したところ、クリーニング団体から抗議を受けた。そこに書かれていたことは実際に行われているにも関わらず、「誰があのような嘘を言ってきたのか」などと詰め寄ったという。悪質な業者が行う不正行為を、業界団体が弁明しているのと同じだ。実際に は、連絡をしてきた人物は悪質業者の味方になったわけではないのだが、自らの既得権益を守るため、それを「なかったこと」にしたいのである。

 本来であれば、真面目 に仕事をする傘下の組合員のためにも、安売り業者を中心とするクリーニングの不正行為についてはこういったクリーンライフ協会のような団体が動くべきだと 思うが、自らの利益のためになにもしないというのは業界に悪をはびこらせるだけであり、最終的には消費者を欺く行為に荷担するのと同じである。現在のク リーニング業界には、こういう負の連鎖が広がっている。

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悪質なクリーニングについて注意を促す消費者団体の記事。ここに書かれてあることはすべて事実だが、厚生労働省の認可団体がこれに抗議!これではクリーニング業界は悪の枢軸である・・・。

 

消費者問題

 日本はかつて「一億総 中流」などと呼ばれた時代もあり、諸外国と比較して貧富の差が少ない。これはクリーニング業者にとっては大変ありがたい事情であり、国民のほとんどがクリーニング店を利用している国は他にない。当然、クリーニング需要は世界一。国民の清潔好き、国土のほとんどで飲料可能な軟水に恵まれていることも洗濯文 化を後押ししているが、お客様のご愛顧なしにはとても成り立たないことである。

 しかしながら、そのありがたい消費者に対し、クリーニング業界はサギまがいの追加料金、意味不明の加工料金、ごまかし行為を仕掛け、まるで恩を仇で返すような振る舞いである。 店頭表示と違う価格(景品表示法違反)、花粉症などに効果があることを臭わせる加工(薬事法違反)、最初に客だけ特別扱いするファウルプレイなど、消費者 にはわからないような巧妙な行為が行われている。

 本来であれば、業界の不正行為や法律違反は厚生労働省認可の全ク連が中心となって取り締まり、業界浄化を図らなければならない。ところが、全ク連のシェアはたかだが推定で 10%程度、組合員自体に建築基準法違反業者を大勢抱える有り様で、業界改善など全くできない。クリーニング業界は自己浄化できない業種なのである。

 全ク連は、うかつには業界問題に手を出せない事情がある。街の中で目立ち、流行っているクリーニング店はことごとく組合員以外。各県の理事長達はほとんどがロートルばかり。実は全くシェアがないことを行政や一般に悟られると、存在価値を失ってしまう。クリーニングは全ク連上層部の保身のために浄化できないのだ。

 かくして消費者問題は広がる一方であり、二重価格、意味不明の加工、最初の客だけ丁寧に仕上げるゴマカシなど、問題は置き去りになっている。