ブライアン・イーノ

ブライアン・イーノ

 

 この不思議な音楽家は、常に私に衝撃を与え続けたものであった。

 中学二年生の時、私は書店で「MUSIC LIFE」という雑誌を購入した。その時大ファンだったT・rexが表紙であったこともあった。

 しかし、表紙をめくったカラー・グラビアには、当時売り出し中のバンド、Roxy Musicの写真があった。これは、幼稚園の時に少年マガジンかサンデーの表紙で バルタン星人を見たときと同じくらい気色悪かった。服装が不揃いのメンバー達がケタケタ笑っていて、一番右側にはほとんど化け物みたいな男が写っていた。 現在音楽評論家となった幼なじみの笹川孝司は、これを見て「カラスみたいな奴だな。」と言ったものである。それが、ブライアン・イーノであった。

 ロキシー・ミュージックは、東北の中学生にとってあまり嬉しい音楽ではなかった、パープル、ツェッペリンが激しいシャウトを聞かせ、ELPやイエスが壮絶な技巧を奏でる中で、これは何の魅力もないものと感じられた。その魅力に少しは気がつくのは、ずっと後だった。

 

 そして大学時代、私の住んでいた和敬塾という学生寮にアメリカからの留学生がいて、そこで彼らが「いい、いい。」と喜んでいたのが「forth world vol1,possible musics」というアナログレコード、ブライアン・イーノがジョン・ハッセルと組んだものだった。

 イーノの名前を聞くのは久しぶりだったが、なるほど聞いてみると、今までは聞けなかったような音がする。こういうのがアバンギャルドなのかと思って自分でも購入した。

 不思議な音楽だったが、(というよりも音、だったが)、聞いていると不思議と心が和ん でくるものだった。当時、私はいい加減都会の喧噪に飽きてきて、田舎ののんびりとした風景に憧れていた。つげ義春に傾倒したのもその現れであったが、同時 期にブライアン・イーノの洗礼も受けた。

レコード店で探すと、これがまたたくさんあるものである。といっても彼だけの音源ではなく、誰かとともに新しい音楽を模索する、といった方向性があった。環境音楽というのが当時流行したが、「music for airport」というアルバムに代表されるように、邪魔にならない音楽がテーマであったらしい。

そのうちに私は社会人となり、青森県に行った。その頃出たのが「Pearl」というアルバムである。ハロルド・バッドというピアニストと作ったものだが、これがたまらなく素晴らしかった。当時、車に乗ってこれを聴きながらドライブした。秋田県の乳頭温泉郷に行くときなどこれを聞いて言った。田沢湖の湖の輝きを見ていると、この音楽を思い出す。

 

イーノは様々な活動を行って、いろいろなミュージシャンに光を与えたよ うに思える。ハロルド・バッド、ジョン・ハッセル、ララージなどだが、みんな良かった。この時期、環境音楽の影響を受けて、同様な音楽がたくさん発売され たが、聞いてみるとみんなイーノの足元にも及ばなかった。これはこれで道を究めていたのである。

 環境音楽というジャンルはその後流行し、同様なサウンドが多く登場した。環境音楽はど れもボヤンボヤンとした雰囲気で同じような印象だが、ブライアン・イーノが関わったものは何というか、格が違う。音楽にならない音を出させてこれほどサマ になる人も珍しい。そういう才能を持ったミュージシャンなのだろう。

 

ただし、80年代に、ロジャー・イーノというイーノの弟名義のレコードが出たことがある。これはちょっと月並みだった。アバンギャルドな音楽をやっているイーノも人間だったのね。イーノも人の子。弟はやっぱりかわいかったのかと思ったものだ。

 

 芸術活動を志し、常に前進するイーノ。そんなにレコードやCDが売れているようでもないし、大丈夫かな、と思えるけれど、それでこそ芸術家じゃないか!金のことを考えていては芸術家じゃないよ(よくわからないけれど)。これからもがんばって欲しい。いっぱい音源(映像も)、出して欲しい。