五反田
私がいつも行く全国クリーニング協議会は大崎に事務局がある。平成10年の末に青年部会長になって、ぐっと出張の回数が増した。会合が終わり、飲みに繰り出すのは隣町の歓楽街、五反田である。大崎には飲み屋はなかった。いや、今でも一次会場しかない。
私は4歳の時に初めて上京し、それ以来東京に行くのが楽しみであった。東京に行くと、なぜか故郷に帰っていくような郷愁を感じた。
それは、変だと思われるかも知れないが、東京はいつまでも昔のままだからである。
日本において田舎というのはどんどん変わっていくものである。人口の希薄な地域に、次々と素晴らしい道路ができあがる。日本はお金が田舎にばらまかれる不思議なシステムがある。
ところが、東京はあまり変わらない。お台場や六本木といったところはすごいが、商店街など昔のままで営業している。
自己流の解釈をすれば、それは人口が多いからだと思う。田舎では人口が少ないから廃業 する商店がある。都会ではとりあえず人口が多いからそのままでいられるのだ。もう、田舎にはチェーン店以外のレストランは存続しにくくなっている。コンビ ニ以外の商店も同様。田舎に行けば田圃の中にコンビニも、ショッピングセンターもある。
ところが、東京では個人経営の店が今でも営業している。そして嬉しいことに、スタイルもあまり変わらない。そういうところにたまらない魅力を感じるのだ。何だか昔に戻ってきたみたいに・・・。
酒を飲みに行くようになった街、五反田は、わたしのそういう趣向に見事に応えてくれる 街であった。昼間行くと、まるで昔の郡山のようである。駅前に古―いデパートがある。ガード下の飲み屋がある。そして五反田からはトローい走りの池上線が 出ている。ほとんどSLの様なものである。
ガード下に焼鳥屋がある。L字型のカウンターに7人しか座れない小さな店だが、これが 実にうまい。あんまりうまいので家族で行ったくらいである。ここに同業者を連れて行くと、やはりその魅力にとりつかれ、常連になってしまう。このほかにも 五反田には魅力的な店が多い。居酒屋も、寿司屋も、焼き肉屋もイタリアンも、フレンチも、チェーン店ではなく多くが個人経営。人口が多いから生き残ってい るだけではなく、それぞれが持ち味を出して、魅力的な店作りを実践している。
二次会以降も、まるで昭和30年代の映画の世界に入ったようなレトロなクラブが現存し ている。森繁久弥や加山雄三や植木等になったつもりで飲んでいるような感じである。子供の頃、怪獣映画の同時上映の若大将やクレイジーを見て、東京に憧れ たものだ。それが、そのまま実現できるというわけである。東口の有楽街などは、昭和30年代の繁華街がそのまま残っている感じである。店も、立っている呼 び込みの人も、町並みも・・・。
私にとって東京に行き、夜になって酒を飲むというのは、過去を懐かしむ旅に出かけるようなものである。子供が憧れていたすべてが東京にはあった。そして、今の年齢にふさわしい宝物が、五反田にはあるのだ。
東京がどんなに発展していっても、五反田には変わらない世界がある。お台場一丁目商店街のように演出されたものでなくても、血の通った過去がある。古びた商店街も、猥雑な路地裏も、時間の止まった飲食街も、すべてが素晴らしい。
かつては隣の大崎が、山手線でもっとも寂れた駅であったが、今やニューシティ、ゲート シティ登場で発展し、昨年12月からはりんかい線開通、埼京線も延びて五反田よりも都会になってしまった。かたや五反田は、山手線のこっち方面としては一 番寂れた駅になってしまった感がある。大塚から鶯谷までを別格として、駅のホームから眺める光景は、郡山駅よりはずっと田舎である。いや、今となっては昔 のままで存在していられる幸せがある。
今や新宿、池袋と同等の魔都となった渋谷は、人がぶつかっても平気で流れていく不良ガキの街となってしまった。どの店のテーブルも異常に狭く、東北の私には耐えられない。五反田は飲食店のテーブルも地方仕様といった感じで、渋谷のような窮屈さがない。その点が快適だ。
平成14年、家族で恐竜博を見に行ったときに、恐竜博もそこそこに家族が向かったのは 上野アメ横、東京タワー、そして五反田の焼き鳥屋だった。ガード下の狭い焼鳥屋を見て家族は仰天したが、焼き鳥のおいしさと、店主と常連客が人情で一体と なった雰囲気にすぐに満足した。結局私は少年時代のあこがれを、子供たちに見せるのが憧れだったのだ。東京は私にとってのアンバランス・ゾーンなのであ る。