温泉

温泉・秘湯

 

 子供の頃、家族で行く旅行は決まって温泉だった。特に岩瀬湯本温泉などはよく行き、父親と一緒に夜の風呂に入っていると、風呂場のガラスいっぱいに蛍が張り付いてそれはきれいだった。今ではあり得ない光景である。

 昔は温泉自体が素朴なものだった。風呂に入るという以外、別に楽しみはなかった。70年代に入る頃に地元にも巨大温泉が登場し、温泉がレジャーセンター化の傾向を辿った。

 それぞれの時代を通じて、我が社の社員旅行は決まって温泉に宿泊している。現在もそう であるが、昔は近間の温泉で一泊、70年代に入ってからは会社を金、土、日と三連休にして二泊旅行、また最近では会社が年中無休なので、1班から3班に分 かれての一泊旅行と形を変えながらも依然として行き先は温泉である。

 正直、温泉はもはや時代遅れである面も多い。会計が不明瞭である上、旅館の中で出され る飲食物が市価の何倍もする。下へ降りていって買えば150円の缶ビールが550円とは何だ!ある意味流通を無視して存在している。(高校の先輩で、この 辺の矛盾を是正した温泉経営を行っている人もいる。)しかしそれでも当社が温泉に行くのは、他に行くところがないのと、やっぱり温泉でないと、という人も 多いからである。

 かつては、須賀川市内の葬儀店のマイクロバスをお借りして社員旅行していたこともあっ た。後部座席は、普段であれば棺桶が乗っている場所であるが、そんなことはお構いなしにみんなで楽しく出かけていった。かつて常磐ハワイアンセンターとい う所があって、家族でもでかけたが、あれも巨大な温泉である。平成5年、福島空港が開港する頃には、沖縄や北海道にも行って来た。

 

 こういった社員旅行に家族ぐるみで必ず社員旅行につきあっていた私にとって、温泉は身近なものであった。

 大学時代の後半、書店で「つげ義春旅日記」という本を見つけた。漫画家つげ義春の旅行 記や温泉のイラストなどがふんだんに紹介されており、これにたまらなく引きつけられ、子供の頃に行った温泉のことなどが懐かしく思い出された。当時は東京 に住んでいたので、隣の部屋の住人がツメを切る音が聞こえてくるような都会のせせこましい生活にうんざりしていた時期でもあり、ことさら田舎ののんびりし た風情に憧れた、という気持ちもあった。

 実家に帰ると取り立ての免許で、秘湯と呼ばれる温泉をやたらと目指した。80年代初 頭、秘湯はまだ健在で、一日に3つの温泉に入るなどという事もあった。学生時代に終わりを告げると、父の薦めで青森県に行くことになったが、これも当時の 温泉好きが高じ、青森には秘湯がたくさんあるのだろうといった、単純な動機の方が大きかった。そして、青森県付近は私のそういう期待には十分に応えてくれ たものだった。

 さらに、実家に帰ってからは、工場が会津に建ち、そこに住み込みとなったために会津付近の温泉を散策した。

 こういった動きが収まるのは、結婚したり子供が誕生したからである。寂れた温泉には女性を連れて行きにくいし(私は平気、なんていう人は甘い)、子供連れも難しいのである。

 

 いろんな所に行ったが、最近では廃業してしまうような所も多くなった。温泉は儲かって 巨大化するか、客が来なくなって廃業するかのどちらかの運命を辿るが、近年これに寂れたまんまでそれを売り物にする、いわゆる秘湯マニアを相手にする所も 登場した。「日本秘湯を守る会」の看板も堂々と掲げてある。

 私はでかいゴージャスな温泉よりも、寂れた秘湯が好きであることは言うまでもないが、秘湯を売り物にするのはあまり嬉しくないと思っている。

 秘湯であろうとする行為をまあ認めなくはないが、「秘湯を守る会」に入らなくても、十 分秘湯のイメージを持つ温泉はたくさんある。私にゆかりのある福島県と青森県を比較すると、青森県は秘湯が秘湯として堂々と存在するが、福島県ではまるで 山のすみに隠れているかのように秘湯が点在する。そういう所を見つける喜びというのは格別である。

 青森県はあまりにも田舎なので秘湯が手つかずの状態にあるが、福島県は東京から近いの ですぐに影響を受け、人間に媚びてしまう。秘湯は、人間に媚びず、自然に向かって超然としてこそ秘湯なのだ。最近新幹線が八戸まで伸びたが、秘湯が荒らさ れるのではないかと心配している。

 

 ここでどの温泉が良かった、ということは出来るが、そこには私の人生の一コマを感じさ せるシチュエーションというものがある。だから、それは絶対的評価ではない。温泉は、いった人がこれはいい、と思えばいいのだ。ただ、好きな人はそのチャ ンスが普通の人よりも多い、というだけであると思う。