プロレス
2001年に、長く新日本プロレス・レフェリーとして活躍したミスター高橋が、「流血の魔術・最強の演技 すべてのプロレスはショーである」という書籍を出版し、大きな話題となった。
内容は、プロレスが世間一般でいわれる八百長であり、真剣勝負とはほど遠いものであることを説明し、自分のレフェリー生活の中からプロレスの試合がいかに組み立てられていくかを詳細に解説しているものである。
プロレスがとても真剣勝負とは思えないことは今更言うまでもないが、どうやらこれは真 剣勝負ではない、と言われた昭和30年頃の時点(昭和31年、映画「力道山・男の魂」の中では、力道山が自ら主演の映画でありながら、八百長という言葉が 何度も登場する。)から、なぜ今までこの様な事が世間に発表されなかったのか、実に不思議である。
この半世紀の間、プロレス界に多くの人材が関わり、そして去っていったが、誰しもがこの「八百長」には関わったはずであるが、その誰もがプロレスのショー的部分には口をふさぎ、公表しようとはしなかった。むしろそのことの方が異常である。
この書籍に関しては、多くの人々は、プロレスがショー的なスポーツであることは知って いても、そのショーがいかにして形成されるか、どんな打ち合わせが行われるのかは知らない。それを記述したのだから、ニーズに応えたと言えるだろうし、ベ ストセラーになるのもうなずける。
これまでこうした現実が 誰の口からも発せられなかったのは、プロレスという世間一般からはだいぶ隔離された世界において、その正体を公表することは多くの関係者の生活を脅かすこ とにもなるし、また、そういう裏切り者を許さない環境も確立されていたのだろう。それは、プロレスに関わる関係者ばかりでなく、プロレスマスコミ(これも 一般マスコミとは関わりがなくプロレス世界に隔離されている)、そしてファンまでもを巻き込んだ一種独特な世界なのである。この本が登場したのは、もはや プロレスはかつてのゴールデンタイム放送など夢となり、深夜放送枠でやっと放送されるような、人々に愛されるものではないマイナーな一分野に成り下がり、 要するに「金にならないもの」になり、プロレスの内幕を公表する掟破りの危険性がほとんどなくなったからだと思う。夜中になにやら汚いアンチャンらが騒い でいるものがプロレスだというなら、もう誰も寄りつかないのは当然だ。
「流血の魔術・最強の演 技 すべてのプロレスはショーである」が発表され、世間でだいぶ話題になっていた時期においても、プロレス誌でその事実はなんら話題とはならなかった。そ の書籍の存在を知らなかったといのではない。まるで、みんなで耳をふさいでいた様である。それは大本営発表か、現在の北朝鮮のように、ファンが知らされて いなかったというのではなく、プロレスという社会に共鳴し、そういう一般社会、メジャーな社会を受け付けたくないという自己防衛本能の様にも感じられた。 プロレスは専用マスコミやファンに支えられた運命共同体なのである。肩を寄せあって細々と生きる少数民族の趣を感じる。
プロレスを演じる彼らの 収入も、あのハードな試合から考えればあまりにも不相応な低いものであると思う。前にどこかの女子プロが経営危機に陥った時、選手の「おにぎり二個でいい 試合が出来るか。」という発言に対し、経営者側が「おにぎり3個にカレーも付けていたはずだ。」などという返答があったが、こういうやりとりを聞いている と、もしかして日本で一番エンゲル係数が高い職業じゃないかな、と思う。好きじゃないと出来ない商売である。
プロレス評論に関して は、80年代に鈴木邦夫という人が書いた「夢の格闘技・プロレス」という名著がある。ここで書かれているのは、格闘技の真剣勝負には、ファンが見たいと思 うようなシーンが登場する事はあり得ない。ところが、ファンは有名な選手がその得意技で勝利するシーンを夢見ている。プロレスは、ファンの見たいそういう シーンを故意に見せる事を実現する格闘技である、という事である。デストロイヤーが見事に四の字固めで勝利したり、ジャイアント馬場がロープから返ってく る相手に16文キックを決めるのは、やはり金を払ってやってくるファンがその場面を見たいからに他ならない。プロレスラーは、互いの打ち合わせによって、 観客のニーズに見事に応えているのである。
しかし、レスラーが子供騙しのレベルでそういう「ショー」をやっているわけではない。メジャー団体のレスラーを見れば、その堂々たる体格には圧倒されるのみである。これで、弱いわけはない。単に生活のために、怪我をしないようにしているだけである。
また、プロレスブームの 時に学生時代を迎えていた自分は、アントニオ猪木に影響を受けていたことも手伝い、プロレス研究会に身を投じていった。そのときに経験した、プロレス技に 関しては、多少体を鍛えていても、レスラーがリング上で当たり前のように展開する技を5、6発くらってみれば、まず翌日は立っていられなくなる(プロレス ごっこではなく、観客の前でという意味)。ふつうの体力では、全国を巡業することなど不可能だ。そういう体力的裏付けがあったからこそ、レスラーも多少の 打ち合わせを甘んじて受け止めていたのではないだろうか。
それに、他の格闘技にしても、ショー的要素なしではとても興行など打てるものではない。すべては同じ事の繰り返しである。ミスター高橋の言葉を借りて言えば、「すべてのプロ格闘技はショーである」である。
そういう私にとってプロレスに関する鮮烈な思い出がある。1977年2月のことである。
新日本プロレスが郡山市にやってきて、郡山セントラルホールという場所で興行を打った時のことであった。
メインのアントニオ猪木、木戸修組対スタン・ハンセン、ピート・ロバーツ組の試合が終わり、帰りについた時である。
外人専用バスがいて、そこからくだんのミスター高橋が窓から顔を出し、5、6人のファンと握手をしていた。人数も少ないし、私もそこへ行って握手しようとした。
ようやく私の番が回ってきて、手を差し出したそのとき、
ビュン!と、高橋氏の後ろから何かかが、私の顔をかすめていった。
それは、あのタイガー・ジェット・シンのサーベルであった。高橋氏の後ろで、あの悪役は私に向かい、壮絶な憎しみの表情で私と一瞬対峙した。それは、テレビで見ていたあの顔と同じであった。
当時高校1年生だった私 に対し、ここまで演技してくれるのならそれで十分さ。「すべてのプロレスはショーである」をもっと極端に言えば、「すべての世の中はショーである」ではな いか。そこまでやってくれたことに対し、これはこれで立派なものだと思った。その後もしばらくプロレスにのめり込んだのは、この瞬間の真剣さだったのかも 知れない。