須賀川

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 私が住み、生まれ故郷である須賀川市は、変な言い方ではあるが、「死に近い街」という印象がある。縁起でもないが、まるで街全体が、葬式、法事など、「死」ということに関わる行事に、やたら近しい位置にあるように思えるのだ。

 

 毎年、お盆の時期には、新盆(あらぼん)といって、昨年のお盆から今年までに亡くなっ た方の自宅にお参りする習慣がある、これは、地域によってアラボン、ニイボン、などと言い方が違うが、普通は近親の近しいところで済ませる慣習である。と ころが、須賀川市の場合、行く範囲がやたらと広い。旧市内の誰かが亡くなれば、絶対に行かなければならない。街中は8月14日、郡部は13日だが、年間に 亡くなった人の分だけこの二日間にお参りする。ある程度商売を広めていれば、この二日間に行く軒数は30軒、40軒というのが当たり前である。この時期に は前日に予定を立て、いかに効率的に廻るか考えなければならない。行く側は一軒あたり3000円ほど包み、迎える側もそれに応えるお返しを用意しなければ ならない。それこそ、このためにすさまじい労力を要し、年配の方になると、それで「死」に一歩近づいていくかも知れない気もする。

 

 そして、お盆では子供達もこの「死者を迎える儀式」に参加する。須賀川市内のお墓に は、たいてい石で作られた灯籠がある。お盆が近くなると、この灯籠に和紙で風よけの紙が貼られる。そして、この墓の檀家は、13日から16日にかけ、夕方 にろうそくを灯しに出かけていくのである。

  私は、こういう習慣は日本中のものと思っていた。ところが、須賀川だけの慣習だと高校のときにわかった。ろうそくを持って出かけていくのはもっぱら子供の役目である。暗くなった時間に一人でお墓に行くのは怖い。須賀川の子供達は、必然的に肝試しまでさせられる。

 お盆は死者がこの様に帰ってくるものだといわれている。死者は近くに迫っている・・・。そういうときにお墓に行かされる子供達ったらたまったものではない。須賀川では、子供の頃から死者は近くにいる。

 

 また、お葬式も重要な儀式である。葬式で義理を欠いてはいけない・・・どこでもそうなのだろうが、特に須賀川ではお葬式をおろそかにしてはならない、という暗黙の了解が、大人達の間に厳しく張り巡らされている様に感じられる。

 何らかのときに、お葬式の案内が来る。そうなると、他の行事を中断しても、それに出か けなければいけない。欠席すれば、大変な無礼に当たる。そのため、どんなことがあっても葬式ばかりは欠席できない。お坊さんのお経を欠かしてはならないの だ。結婚式よりも、お葬式が重要・・・それが須賀川のしきたりである。

 

 須賀川市最大のお祭りである松明あかしも、元々は伊達政宗に滅ぼされた須賀川市の人々 を弔う祭りである。何かおめでたいことを祝う祭りではなく、過去の死者を弔うことがこの祭りの重要なファクターであるのだ。町を挙げて死者を弔い、それは 年々派手になっていく。そう考えると、いよいよもってこの須賀川市は「死」に近い街であると思う。

 

 平成の代になり、中心街には松明の灯火をかたどった街路灯が光るようになった。これも 須賀川市を象徴する風景ではあるけれど、どう見ても明るいネオンのような輝きには遠く、私には、何か死者が通って下さいと言わんばかりの灯火にしか見えな い。一年中、お盆のような雰囲気の中、私も、他の人たちも、まるで幽霊のように、飲屋街を彷徨うのだ。ただ、この灯火に照らし出されているのは、妖怪では なく、円谷プロによって作り出された怪獣ではあるが・・・。

 

 若干趣が違うが、あの妖怪の大家、水木しげる先生がこの街を訪れたときに、どの様に感じられるのだろうか?ぜひともお聞きしてみたいものである。妖怪博士、怪獣の街を訪れる・・・の図をぜひ実現してもらいたいものである。