日本映画史100年
四方田犬彦著 集英社新書
日本映画の歴史を語る一冊。この手の書物では映画評論家の佐藤忠男氏のものが有名だが、この四方田氏のもなかなか読ませる。内容的にはかなり類似した箇所が多く見受けられるが、それは同じ題材を扱っているのだから仕方がないだろう。「狂った一頁」、「哀の曲」、「新しき土」など、円谷英二関連の作品も紹介されるが、不思議と「ハワイ・マレー沖海戦」の記述がない。
怪獣映画は、歴史を語る映画のどれもがそうであるように、「ゴジラ」で始まる。「特撮を担当した円谷英二は、その前年にフォン・スタンバーグの「アナタハン」で助監督を努めていた」なる記載があるが、円谷英二が「アナタハン」で助監督だったという記録はなく、間違いではないかと思われる。
「水爆実験で組成した古代の怪獣が夜の東京湾を渡って大東京を襲うとき、そのキアロスクーロ(光と影との微妙な対照効果によって立体感を出すこと。陰影法。本来は絵画で使用する言葉)が魅惑的だとすれば、それはスタッフがディートリッヒを世に出した監督の薫陶を受けたからである。」
とあるが、それは違うと思う。円谷英二は無声映画の時代からローキートンと呼ばれるほど暗いキーにこだわっており、昔からそういう映像を好んで用いている。昭和28年以前の作品にもそれと思われる作風は随所に見られ、前年にスタンバーグ氏から「薫陶」を受けたことで開眼した、というのは、いかにもそれらしい作られた文体ではないのか?と感じる。
「南方の海に生じ、東京を急襲する脅威という発想は、このフィルムが撮られた九年前に日本全土を焦土としたアメリカ軍の空襲と、南方に散った日本兵たちへの鎮魂を抜きにしては、考えられない。」
・・・まあ、よくある文体ですね。私はそういう考えには否定的だが・・・。「ゴジラ」製作の過程においては、あまり戦争と被らせる要因はなかったように思う。後年のゴジラ作品を見た後で、昭和29年の第一弾を見た方が多いので、そういう風に見えるのではないだろうか?
「キングコング対ゴジラ(1962)では、彼は日本のナショナリズムの側に立って、アメリカから到来した巨猿と一騎打ちする」
これも違うと思う。「キングコング対ゴジラ」は、日米の代表的な怪物が闘うということで、しばしばナショナリズムを持ち出されて語られる場合が多く、多くの書籍にその様な記載も見られる。だが、映画を最後まで見ればわかるとおり、作品自体はプロレスの60分3本勝負的な筋立ての中でキングコングを完全な主役扱いにしており、キングコングが放射能火炎を持つ難敵ゴジラをいかに攻略するかを主眼に置いたストーリーが展開されている。一本目はゴジラに全く歯が立たないキングコングは、何とか攻略策を身につけて最後はゴジラの放射能をも口に大木を突っ込んで攻略する。このような筋立ては、当時の力道山が外人レスラーを相手に使った手法であり(初戦で相手の良さを最大限に引き出し、大変な敵が現れたと思わせ、客を引きつけて興行成績を上げ、最後は何とか相手の得意技を攻略して勝利する・・・馬場や猪木もそうだった・・・)、映画自体が、キングコングを善玉扱いしていたのだ。これは、当時のマーケットとしてアメリカがきわめて重要であり(ナショナリズムはアメリカの側には強かった)、さらにはゴジラを悪役にしたところで、別に日本人が怒るわけでもなかった情勢にも起因する。
ちなみに、映画自体も、かなりプロレスチックな展開が成されている。プロレスそのものがナショナリズムを基点としているとの反論も成り立つと思うが、ここでの善玉はあくまでキングコング。ゴジラが日本代表としてアメリカ代表と一騎打ちをしたという印象は全くない。プロレスにおける、ベビーフェイス対ヒール(善玉対悪玉)の関係が成り立っているのだ。
当時の世相の中で、日本人の側に、「ゴジラは日本の代表であるから、アメリカを代表するキングコングに打ち勝って欲しい」という代理戦争的な発想があったとは考えにくく、当時の文献にもそういうものはあんまり見当たらない。逆にアメリカの側にはしっかり「代理戦争」の発想はあったらしく、特撮映画の予告編ばかりを集めて編集した作品「カミング・スーン」の中で、数人のアメリカ人がそれらしいことを述べている。そうであれば、作品の作り方はまさに的を得ていたわけだ。