新しき土(ドイツ題:サムライの娘)

新しき土(ドイツ題:サムライの娘)

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(火山噴火と倒壊する家屋の場面。勿論特撮)

日本がナチスドイツと近づいていった時代、政策上は日本と親密になりたいドイツではあったが、アーリア人の優位性を説く当時のナチスにあっては、日本の外交官がドイツを訪問しても、「ヤップ、国へ帰れ。」とののしられる有様であったという。

 そこで宣伝省ゲッベルスは、当時最大のメディアであった映画を利用し(先にはオリンピック映画「民族の祭典」などで効果を上げている)、同盟国である日本の宣伝を行い、民族主義一辺倒のドイツ国民に「日本人もいい人達ですよー。」と理解してもらわねばならなかった。そのような方針のもと製作されたのが本作である。

 映画は冒頭から、富士山のもとを歩いていったら安芸の宮島に出るとか、事実無視の無茶苦茶な内容で、日本側の監督だった伊丹万作が怒り出すなど大変だったらしい。日本版とドイツ版が作られ、今回見たのはドイツ版(日本版は現存しないのかも知れない)。

 

 ストーリーは、素晴らしい日本の自然の中、ドイツに留学した許嫁の輝雄(小杉勇)を待つ光子(原節子)は、今日も日本的情緒を漂わせながらも、西洋の近代化を受け入れる日本の女性として生活している(ヘンな表現)。ところがようやく帰ってきた輝雄は、ドイツ女性、ゲルダを同伴していた。輝雄は旧来の日本流の考え方を否定し、許嫁などの制度も古臭いという。てっきり私を捨て、ドイツ人と一緒になると思った光子は自暴自棄となって火山に飛び込もうとするが、輝雄は必死になって助け出す。やがて二人は新しき土、満州へ行って子供をもうけ、幸せに暮らしていく、というもの。

 

 ドイツ人には日本の風土や日本人の考え方を説明しようとし、日本の発展性を理解させようとし、そして日本人には満州への進出を呼びかけ、政策だけが前面に出てかなり不自然な作品となっている。

 まず、ドイツ人には日本の環境・風習を見せようとするが、冒頭にあるように富士山から宮島まで歩いていったり、横浜に行く船が、まもなく松島の風景を横目に進んだりと、無理して日本中詰め込んで、冗談みたいな映画で ある。また日本なら何でも見せようかと、冒頭いきなり地震の場面もある、地震で倒壊する日本家屋は、勿論円谷特撮の出番だ(ただし、まだ発展途上といったところだ)。これを何も知らない人が見たら、やたらと景色がいい国だが、年中地震が発生して、安心して住めない所だと思うだろう。

 映画の意図は、非常に独特な文化と風光明媚な自然を持つ日本が、近代化の波の中で、欧米流の文明を身につけていく有様を表現したいのではないかと思わせる。日本の伝統文化をイヤというほど見せつけながら、近代的に発展するところも無理矢理映像化している。

 たとえば、バーでカクテルとおちょこを両方飲む主人公の前を、いきなり三味線を持った女が通過する。西洋流のホテルに虚無僧が宿泊する。ヒロインの原節子があらゆるスポーツをやる場面がある。また活発に働く紡績工場の女工さん達の前にMADE IN JAPANの文字が浮かぶ。何の脈絡もなく、主人公が寺で鐘を鳴らす。ドイツに留学するほどの裕福な主人公が、和服に着替えて自ら田植えをする・・・。こんなビックリ場面の連続だ。冗談だと思って鑑賞したら、十分面白い作品といえるかも知れない。

 後半の場面では、日本の手作業の農業風景を背景に、主人公が 「土地が狭すぎるのだよ。」とつぶやく。そしていきなり画面が展開し、満州の地で、機械化された農業が行われているのが映し出される。主人公とヒロインは子供をもうけ、満州で農業にいそしむ。ドイツ人への案内係のように、ずっと映されてきたゲルダは後半全く登場しない。あれはただ付いて来ただけで、別に主人公と何の関係もないんだよ、という説明がなされる。

何とも不自然な展開だが、こんなことで「だから満州に行くんだ。」といういいわけにするのは奇っ怪極まりない。豪華なキャストの日独合作映画は、国策映画の意図が見えすぎるヘンな作品であった。

 

 円谷英二はこの作品で日本の景色を撮影するため日本中を駆けめぐり、風景を撮りまくった。また、ドイツにはなかったスクリーン・プロセスの技術も提供しているという。撮影中にはフィルムを無駄にするリムールという撮影技師と喧嘩し、ビールの飲み比べをして太って服が着られなくなったと後に述懐している。作品の出来はともかく、「外国には負けるな!」と最初の師匠である枝正義郎に指導されたそのままの姿でドイツ人にぶつかっていったのである。