皇道日本(昭和15年)
昭和15年というから日中戦争の真っ最中、日本が軍事色を強めていく中、天皇を中心とした日本の国体を強調し、世界と対峙する日本の優位性を示して思想を統一しようとした国策映画。東京国策映画の製作で、内容とは別に、円谷英二のカメラ・ワークを堪能できる作品である。
物語ではないのでストーリーらしきものはないが、神社をめぐりながら日本の歴史を紹介し、上映当時、直面していた世界情勢の中で、日本が戦争へと向かう姿勢を理論づけた(こじつけた)ものである。三浦耕作氏という人物がナレーションを読み上げ、筋立てて解説される日本の歴史に、円谷英二がそれにふさわしい映像を撮影していく。
映像はまず、日本が世界列強からいわゆるABCDラインによって進出を阻まれ、「国の一大事」となっている事の説明から始まる。次いで九州の神社が映し出され、日本の歴史について神武天皇の時代からさかのぼり、あちこちの神社の映像が次々と映し出され、それに三浦耕作氏のナレーションが入る。現存する神社や史跡などを巡り歩いて、日本の歴史を探ろうという演出である。
紹介される神社・史跡は相当な数に上る。これだけ撮影してということは、円谷英二は日本各地をロケして廻ったという事である。この作品の3年前の昭和12年、「新しき土」においてはやはり国家事業の日独合作映画のため日本を縦断撮影しており、その一年前には軍艦に乗って世界撮影旅行を敢行していた英二である。この時期は長期ロケの連続で、旅行撮影家といった風情だった。まともに家にも帰れなかったことだろう。
この後歴史は進み、元寇を紹介、勿論神風が吹いたことを説明する。明治維新は「維新にあっても革命なし」と、無血革命を強調する。戊辰戦争の時、埋葬さえも許されず朽ち果てていった会津武士のことをいささかも考慮していない展開である。さらには日清、日露の戦争の勝利、この時には平壌にある朝鮮神宮の映像まで出た。
考えてみれば、この時期は日本の面積が歴史上一番広かったのである。日本の国運稜々たるとき、って感じである。
時代がこの当時の現代にまで来ると、満州国も登場、初めて満州国国旗を見た。現代では、まるで見てはいけないような言い方をされる満州国や国旗を見れるという点でも貴重な映像である。次いで、オリンピックなどで活躍する日本の選手なども登場、この辺になるとドイツ映画「民族の祭典」の影響も感じさせる。スポーツなどに関しても、躍進する日本選手の活躍を紹介し、日本の優位性を強調しているのである。
この後も、日本の現状を肯定する映像&ナレーションのオンパレードである。当時から盛んに製造されたMade in Japanの製品は世界でも公表という事をつげ、画像は荷造りされた製品にMade in Japanの文字がガーンとアップになる特撮が披露される。勿論英二のものである。さらには、ピラミッドの後に日本の鳥居の映像が来る。これは、日本の歴史が世界の歴史を踏襲するものであるという演出だろう。これはやりすぎ、という感じだ。また、この当時の映像としては珍しく、開店する地球の様子が特撮で描かれる。これも英二の出番であった。最後の頃には、「戦争が目的ではなく、目的は平和」というナレーションが入る。明らかに当時の日本の進んでいた道をダイレクトに表現している。しかしながらその背景には日本の戦車などが選ばれており、意図的に英二がやったのならすごいものである。
これを見た息子(小学二年)の反応が、「何だか北朝鮮みたい!」。原文を作成して朗読する三浦耕作氏の話し方が、気合いを全面に出す様な印象で、息子にはそれが北朝鮮のアナウンサーの口調と同じようなものに聞こえたようだ。考えてみれば、 現在の北朝鮮と当時の日本の国家情勢は似たような感じ。そういう場合はアナウンスも気合いが入るのだろう。
この作品を撮影していた当時の英二は、長年活躍した京都から東京の撮影所に移ったものの、古株のカメラマン達から警戒されて仕事が出来ず、完全に干されていた時代だったという。黙々と撮影を続けるという意味では英二に向いていた仕事だと思うし、企画者の方針に見合った映像を次々と貼り付けていくという作業においては、特撮まで駆使して自由に表現できる英二でなければ出来ない作品だったのか も知れない。
こういう作品が忽然と放送されるから、CSはたいしたものである。よくチェックしないと見逃しそうで不安だ。