1、特撮の神様
平成5年、地元の人々に待ち望まれた福島空港が開港した。円谷英二氏を中心とした町づくりの活動を展開している須賀川青年会議所では、一番機からウルトラマンが降りて来るという演出を行って開港を盛り上げることになった。
降りてくるウルトラマン、待っているバルタン星人・・・。これ見たさに集まった子供達は大喜びだ。以来、福島空港ではウルトラマンを中心としたアトラクションを定期的に行い、多くの子供達に喜ばれている。本来は人やものを運ぶ交通手段の基地である飛行場は、何かテーマパークのような存在になってしまった。
だが、子供達が熱狂しているこのウルトラマンは、実は昭和41年、今から35年も前に放送された番組の主人公なのだ。子供達は親の世代よりも昔の、生活様式も何もかもが違った大昔の番組に熱狂しているのである。
またウルトラマンと並ぶヒーローとも言えるものに「ゴジラ」がいる。こちらも毎年のように新作の映画が製作され、やはり子供達に大人気だが、こちらに至っては昭和29年、戦後まだ10年も経過していない頃からの作品であり、まもなく半世紀が過ぎようとしている、 途方もない昔のものである。
ゴジラに始まる一連の怪獣ものや、今や大勢の兄弟となったウルトラマン・シリーズは、日本の子供達が一度は通る通過儀礼となってしまった感がある。現在の小学生くらいの子供達以降の世代はすべて、父親と同じものに少年時代の共有体験を持つというわけである。
こういった現象は何も日本だけに限られた事ではない。怪獣映画は昭和29年以来、海外でも人気が爆発し、特にアメリカでは「ゴジラ」の名を知らぬ人はいない。怪獣映画は当時、世界に売れる唯一の日本映画のジャンルとなり、海外のバイヤーからの注文にも応えていた背景がある。
この様な世界中を巻き込んだ特撮映画、特撮番組の数々は、すべからく本県須賀川市出身の故・円谷英二氏から発せられたものと言える。少なくとも日本の特撮映画に関する撮影技術やノウハウは、円谷英二の苦闘の歴史と言ってさし支えない。特撮作品は決して一会社の独占的なものではないが、必ずや英二との何らかの関わりを持っているのである。
本県で生まれ、少年時代、青年時代を須賀川の地で過ごした英二は、どの様な背景で映画界入りし、特殊撮影の道をたどり、多くの作品を残す事になったのだろうか。著名な人物であるにも関わらず、英二の人生全般に渡る伝記のような書物は意外にも少ない。これは、本人の突然の死による混乱とともに、その生み出されたキャラクターの印象が強すぎ、しばらくは本人にまで関心が到達しなかったことに大きな原因があるが、それにしても郷土の誇りとも言える円谷英二のまとまった伝記が存在しないのは好ましくない。
筆者は、円谷英二氏ゆかりの方に多くお話をうかがい、パズルのように時代ごとの話題を組み合わせ、また、あまり見る機会のない初期の多くの作品を鑑賞する機会に恵まれ、今まであまり解明されていなかった円谷英二の人生を知るに至ったものである。
本年は円谷英二生誕百年に当たる年であり、須賀川市でも様々な催しが行われている。つい先日、3月18日には「特撮映画祭」が行われ、往年の名作「ゴジラ」、「空の大怪獣ラドン」、「日本海大海戦」が上映され、満員の観客を集め大盛況であった。
ここでは計25回に渡って、円谷英二の生涯を紹介していきたいと考えている。英二と言えば一般には怪獣映画の代表のように言われているが、実は日本映画界の創生期からその発展に深い関わりがあり、特撮映画に限らず、多くの文芸作品や話題作において、その技術を披露し発展させているのである。この機会に、日本映画界の流れとともに、それに常に関わった円谷英二氏の努力や、決して平坦ではない人生の変遷を知っていただければ幸いである。