ノエ・乾日本公演同行記

ノエ・乾 日本ツアー公演記

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 当社にとっても、自分個人にとっても大きなイベントとなったノエ・乾氏の公演だったが、10月5日の会津公演(会津風雅堂)、15日の須賀川公演(須賀川市文化センター)の自主公演以外にも道中いろいろな話があり、ノエ氏の温かい人柄もあり、実に充実した時間だったと思う。ここで、ノエ・乾の9月28日から10月18日、ほぼ20日間に渡る日本ツアーについて述べてみたい。

 

9月29日(水)

 昨日来日したノエ夫妻は新幹線で郡山に到着後、ホテルで一泊した。この日は正午にホテルロビーで待ち合わせ、ノエ夫妻とマネージャーの山崎さんを私の車に乗せ、会津へ出発した。

 この日は予定が何もなく、本当はアネックスでもう一泊する予定だったが、翌日の会津若松市長表敬訪問が朝8時45分と早く、郡山から出た場合、交通渋滞などが予想されたため、一日前に会津入りすることにしたのである。

 郡山駅前を出発後、郡山インター近くにあるこの日オープンの「あひるのせんたくやさん・大槻店」に立ち寄る。開店で忙しい当社スタッフはヴァイオリニストの突然の登場にビックリ!思わぬサプライズとなった。

 折しも、ちょうど稲刈り直前の時期、高速道路から見える田園風景は黄金色に染まり、ノエは「きれいですね」を連発していた。晴れ渡ったこの日、トンネルを抜けて会津磐梯山が眼前に迫った後、猪苗代インターを降りて、国道49号線を会津に向かう。

 左側に雄大な猪苗代湖が広がる中、車は野口英世記念館を横切る。野口英世を知っていますか?という問いかけに、「ああ、千円札の人ね」と答えるノエ氏だった。

 車は強清水(こわしみず)へ。ここで昼食になる。

 日本食に全く抵抗がないノエ夫妻は強清水のソバ屋さんで手打ちそばと名物の天ぷらを食べる。まんじゅうの天ぷらに驚いていたが、わき出る清水が有名であることを教えると、持参した大型のペットボトルに水をたっぷりと入れた。彼はコンビニなどで買うお茶があまり好きではなく、もっぱら水を愛飲している。そういう意味でここに連れてきたのは大正解だった。帰り際、店のオバチャンに「ああ、テレビに出ている人だね」と言われる。ノエ本人も、「天気予報のバックに、自分が写っているのを見て驚いた」といっていた。

 やがて会津盆地が見えてきて、会津若松ワシントンホテルに到着。この後すぐに市内の音楽教室に行き、練習を開始する。

 この日の4時半頃、岩瀬郡天栄村を震源とするマグニチュード5.8の地震が起きる。滞在中の会津若松で震度4。ノエ夫妻は練習中だったが、ノエは「前にも経験があります」と平気。奥さんのパク・スミジャさんの方が、「怖かった。九州地方には地震がないので」とのこと。スミジャさんは10歳まで佐賀県に住んでいたという。

 練習後、すっかり暗くなったところでなぜか会津観光。暗闇迫る白虎隊自刃の地、飯盛山に向かった。この後で七日町へ。古い町並みに少しだけ触れてきた。

 夕食は近隣の居酒屋にした。せっかく会津に来たのだから、それなりの場所にしようと思ったのだが、何だかいいところが思いつかなかった。ここではノエが奥さんのことを「スミちゃん」と呼ぶので、何だか加山雄三の若大将シリーズみたいだね、というたわいのない話とか、フルトヴェングラーの話など話題が豊富だった。

 昼食の時も思ったのだが、ノエはかなりの辛党である。そばに唐辛子をものすごくかけていたし、夕食の時も辛子をかなり使う。自分もそうなので、かなり親近感が沸いた。

 

9月30日(木)

 8時45分より会津若松・菅家一郎市長を表敬訪問。菅家市長は気さくな方で、しきりに会津若松とノエの住むドイツとの関連についてお話をされた。菅家市長は「バルトの楽園」という映画を引き合いに出し、第一次大戦で捕虜となったドイツ軍が板東俘虜収容所において、寛大な会津出身の松江収容所所長が、日本で初めてベートーベンの第9を演奏した話をされていた。

 しかし、肝心の市長訪問にマスコミ関係者は誰も来なかった。市長は「ブログにこのことを書く」と言ってくれたが、会津公演の観客が一番心配なだけに、これは残念だった。

 私は会津若松の5つのロータリークラブを訪問し(メーキャップ)、コンサートの告知を行っていた(うち一つは例会がなく行けなかった)。また、会津地方の中学校、高校を訪問して招待の案内をしていたが、地元須賀川ほどの反応はなく、客の入りが不安だったのである。

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 午後1時より、会津中央病院にて慰問コンサート開催。会津中央病院はやたら豪華で、熱帯魚の泳ぐ大きな水槽の前にピアノを置き、コンサートが行われた。臨時会場には車いすの観客等が集まっていた。

 本来、ここで藍インターナショナルの小沢さんが司会をすることになっていたが、事情で欠席となり、急遽私が司会を務めることとなる。曲を紹介しながら、途中ではノエへのインタビューも行った。演奏曲の中には、当社が主催する二つの公演では演奏されないバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタなども含まれていた。

 コンサートは約一時間行われ、途中から観客の中にお医者さんの姿も多数見られた。ここではアンコールにユーモレスクが演奏され、全ての演奏が終わっても、観客は帰ろうとしなかった。涙を浮かべている車いすの方もいた。

 実際、ヴァイオリンの生演奏というものは、人の心を動かすように感じられる。ノエのような名人であればなおさらだ。長く入院されている患者さんなのだろうが、慰問コンサートというものの意義を感じた。

 この日一番ウけたのは、清水研作氏編曲の「ふるさと」だったように感じられた。複雑に編曲された曲調の中から、やがて懐かしいふるさとのメロディーが流れてきて、長い闘病生活に疲れた患者さん達の心に響き渡ったのではないだろうか?このメロディーは会場の誰もが知っている。高尚な音楽というだけでなく、すべての聴衆の知るものということは大きい。編曲も素晴らしかった。

 コンサートが終わると、院長先生始め数名のお医者さん達が寄ってきて、「素晴らしかった、風雅堂にもぜひ行きたい」などと言ってくれた。後で聞いたら、医者の人たちも学生の頃、何らかの音楽サークルに属しており、実際に演奏していた人もいるらしい。

 公演後、私の車で郡山に戻ったが、休む間もなくまた練習。移動や公演で忙しいが、ノエはいつも練習をかなり行っており、その熱心さには感心させられた。

 

10月3日(日)

 昨日から上京していたノエは、初台の東京オペラシティ・近江楽堂でヴァイオリンだけのコンサートを行った。セット・リストはオール・バッハ・プログラムで、無伴奏ヴァイオリンソナタ第一番、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第一番、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第二番というものだった。最後の曲になったパルティータ第二番は、本人がヴァイオリンを弾き始めるきっかけとなったというも の。

 会場は120席がほぼ満員。熱の入ったヴァイオリン演奏となった。

 オール・バッハ・プログラムなどという演奏は、地方では難しい選曲だろう。まさに東京ならではで、演奏するノエを聴衆が見守ったが、その熱演には誰もが感動した。

 なお、ここで初めてノエのCDが発売された。出来たてホヤホヤのCDは30枚以上売れた。

 この後、ノエは公演のため名古屋に向かった。

 

10月6日(水)

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 この日は当社の主催する公演の一つ、会津風雅堂でのコンサートである。一行は新幹線で午前11時57分郡山着だった。そこから会津まで連れて行く。

 やや遅い昼食を、会津若松駅前の黄鶴楼(こうかくろう)で取る。私にとっては何十年と通った懐かしいレストランである。

 ノエはここで、半チャンラーメンと餃子という、どこがヨーロッパ人なんだよというメニューを選んだ。マネージャーの山崎さんも「ノエはオヤジみたい」とその意外な庶民性を伝えた。父親の実家が製麺所のせいか、ノエは麺類が大好物という印象だ。

 ホテルで一休みした後、午後4時に会場の風雅堂に到着。ここから練習が始まる。

 風雅堂は、後で公演の行われる須賀川市文化センターよりも一回り広い。そのせいか、ノ エも、スミジャさんも、音響をすごく気にしている。会場のあちこちを動き回る私に、「音はちゃんと聞こえてますか?」と声をかけてくる。そういうことに気 を配るのがプロというものなのだろう。

 当社スタッフも到着、この日は自社コンサートのため、運営は基本的に当社のスタッフが行う。二年前、アリス・紗良・オットのときもそうだったが、なぜかこういうときに当社スタッフは俄然張り切っている。まるでプロのように業務分担して取り組むのには社長の私もビックリだ。

 入り口の設営、当日券の販売、場内アナウンス、会場の案内係・・・とプロに教えられながらという部分もあるが、なかなかしっかりしていて感心させられる。

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 私たちがあたふたしている間にも、ノエとスミジャさんはずっと練習している。午後6時頃になると、会場の周りにもうお客さんが集まってきた。ノエは何か練習が十分でないらしく、そろそろ客が入ってくる時間だというのに練習をやめない。特に、一人で演奏するイザーイの曲は最後まで練習が続いた。「6時28分までやらせて欲しい」と、ギリギリまでねばるつもりだ。

 このとき、思わぬアクシデントが起きた。会場に、どこかのおばあちゃんが入ってきてしまったのである。席を求め、あちこち彷徨うおばあちゃん・・・山崎さんがあわてて「まだですよ」と会場の外へ連れて行く。

 しかし、この出来事は、ノエに大きな影響を与えた。私たちが主催するコンサートには、全く音楽の素人がやってくるということを認識し、なんと曲間にマイクで自ら曲の解説をすることにしたのである。

 演奏家は、普通はあまりこういうことをしないらしい。精神的に集中できず、演奏の弊害となるということである。ところが、優しいノエはこちらの事情を瞬時に察知し、解説することにしたのである。

 会場は客の入りが心配されたが、まあそれなりには埋めることができた。だいたい600名くらいだろうか(新聞には約500名と出ていた)?鬼門と言われる風雅堂としては、十分に合格だと思う。

 午後7時、定刻通りにコンサート開始。このときに気付いたのだが、私たちがコンサートをする場合、遅れてくる人がたくさんいる。そういう人たちの誘導などについて、前回も経験していたのに、それを生かせなかったことである。しかし、何が幸いするかわからない。一曲目のベートーベン、「春」の第一楽章終了後、大きな拍手がわき上がり、そのスキに遅れてきた人たちを入れることができた。

 その後もプログラムは順調に進み、お客さんのマナーも非常に良かった。アンコール2曲も演奏され、帰りにはCD販売とサイン会も行われた。

 会場には菅家市長も来ていただいた。挨拶すべきところだったが、人が多すぎてできなかった。また、先日ミニコンサートを行った中央病院のお医者さんも来てくれた。最後にご協力いただいたリオンドールの会長夫妻が来てくれて、本日のコンサートを絶賛した。会長夫人には、「この人のお父さんは、しんちゃん、っていうのよ」と思わぬプライベートな言葉までいただいた。

 この日は特に打ち上げというものはなく、遅くまでやっている店もないので、また駅前の居酒屋チェーン店に行った。あれだけのコンサートの成功の後としては寂しいが、当社スタッフもまだ一つ公演を残している上、みんなこれから70キロの道のりを帰らなければならない人が大半だったので、これも仕方がなかった。次回はぜひ、会津を堪能してみたいものである。

 

10月7日(木)

 この日は8日に行われる福島公演(福島中央テレビ主催)のため午前11時、会津を出発。また、午後1時から福島市文化センターでNHK福島の取材を受けることになった(この模様は13日に放送)。

 私は8日に東京出張し、ノエも福島公演の後は仙台に向かい、スミジャさんは佐賀の実家に里帰りするということでしばしのお別れとなる。

 

10月13日

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 午後1時半に棚倉到着。ノエを乗せて須賀川に向かう。本日は須賀川市長表敬訪問の予定だが、その前にセルクル本社へ向かう。クリーニング工場を案内したが、ノエは特にワイシャツプレス機に興味を持ったようだった。

 時ならぬノエ・乾の登場に当社従業員はビックリ!そしてこれがすごいのだが、食堂に従業員を集め、臨時コンサートをやってくれました!なんだかフルトヴェングラーが戦時中に行った工場への慰問コンサートみたいで感激である。パガニーニを一曲やってくれた。

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 この後、須賀川市庁舎へ。約束の時間に登場した市長といろいろ話をした。この日は地元マスコミも来てくれていた。

 この日は夜にスミジャさんが帰ってくるというので棚倉へ送っていく。すると、ノエの実家で麺類を納めているという食堂で夕食を食べることになった。

 連れて行かれたのは、食堂ではなく居酒屋と書かれていたが、店で出すものは野菜でも生き物でもすべて店主が採ったり作ったりするというものすごくユニークな店。早速手作りのこんにゃくをいただいた。

 やがてラーメンが来て、それを食べた私たちは、本日午後6時からNHKで包装されるというノエの特集をノエの実家で見ることになった。おばあちゃんがお茶菓子や梅干しで歓迎してくれた。この日の夕食はノエにおごられた。

 放送はノエのインタビューに本人の演奏を交えながらというオーソドックスなものだったが、放送中にも実家の電話といわず、家族の形態といわず、あちこちから、「今、テレビに出てるよ!」とバンバン電話がかかってきたのには驚いた!親族やご近所さんがみんなでノエの活躍に期待していることがよくわかった。

 

10月14日

 この日は郡山でミニコンサートということで、棚倉へノエを迎えに行き、昼間は音楽スタジオで練習、夜にホテルハマツでコンサートという段取りになっていた。

 何度も棚倉に行ったので、一番の近道がわかった。中秋の風景天候にも恵まれ、沿道にはしばしばコスモスが見られ、スミジャさんも、キレイですねを連発していた。私は一行を郡山に送った後、会社に戻った。この日は夜に飲み会になると予想されたので、電車で来ようと思ったのである。

 この日の昼食は国道4号線沿いのハンバーグレストランだったが、ノエは自分のヴァイオリンを車の中に置かず、常に自分の周りに置くことにしている。車の中は太陽光によって高音になってしまうという配慮もあるのだろうが、やはり重要なものとして肌身離さず持っているという態度には感心させられる。

 しかし、このときはノエがサラダバーで野菜を選んでいるとき、ファミリーレストランによく見られる大型のメニューがぶっ倒れ、コップの水がこぼれてヴァイオリンケースにかかるというアクシデントがあった。私はあわてた。なんといっても中に入っているのは時価数千万円の名器、ガリアーノである。しかし、ノエは「このケースは水を通さないから大丈夫」とのことだった。実際大丈夫だったがヒヤリとした一瞬だった。

 一行をハマツに連れて行くと、「いろいろ語ろう会」という趣旨の集まりをハマツのバーで定期的に行うというものだった。財界人なども多く、知っている方も数名いた。藍インターナショナルから小沢さんも合流した。

 バーにはグランドピアノが置かれ、まずは客を入れずにリハーサルが行われる。「音、大丈夫ですか?」とノエが聞く。そこは音楽家なのでどこでも音のことが、特に響きが気になるのである。

 フルトヴェングラーの生前、セルジュ・チェリビダッケが曲のテンポについて質問したとき、「それはどんな響きを出すかによる」と答えられたという。音楽家にとって「響き」は、かなり重要なファクターなのだ。本物の芸術家といることにより、それをよく認識した。

 ここはコンサート会場ではないし、ましてやバーなので、冷蔵庫の音が気になった。やはりノエもそれを気にしていたらしい。しかしまあ、多少のことは仕方ないとして演奏が始まり、会場にいた約30名の方も最後のチゴイネルワイゼンの熱演で、「ホー!」という驚嘆の声が上がった。いかなる場所でも、どんな観客も満足させる技術というのは流石である。

 この後、昨年に安積歴史博物館でノエのコンサートを主催した中村洋二郎氏の運営する「千年満開」へ行く。まあ軽い打ち上げという趣である。

 今までノエのことばかりが話題になっていたが、この日は奥様のパク・スミジャさんのことも注目された。特に、ノエのヴァイオリンを支えるピアノの技術もさることながら、その美貌に大きな注目が集まった。会場でも、「美人ですね」と多くの人に声をかけられたし、この日は棚倉から郡山に行く間に私の会社にCDやチラシを持って行くため立ち寄ったのだが、奥さんが乗っているとなると、従業員達がみんな車の所までやってきた。確かに、こういう内助の功を発揮されるパートナーがいることは、ノエにとっても大きいのだろう。

 千年満開ではスミジャさんが10歳まで佐賀県にいたということで、その間の経験も話に出たが、ウルトラマンやタイガーマスクなどの日本型ヒーローもほとんど知っていたのには驚かされた。そういう話がたくさん出た酒宴だった。

 

10月15日

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 15日はいよいよ最後の須賀川公演が行われる日。お昼頃ビューホテルアネックスを出発し、昼食は須賀川市内の中華料理店で取る。ここは代々焼きそばが有名な店で、ノエも焼きそばを食べる。

 須賀川文化センターは会津風雅堂より一回り小さいが、音響に関してはかなり良好なところ。早速リハーサルを開始するが、わずかながらキーンというハウリングのような音が聞こえた。こういうところはノエもすかさず気が付いて会場関係者に改善を求める。原因は、会場のロビーなどに音を聞かせるためのマイクだったようだ。

 会場を歩き回ったが、やはり音は今までの会場より格段にいい。それは、地元であるこちらのひいき目であるかも知れないが、クラシックでは音をスピーカーなどによって調整できないため、こういうことが重要になってくる。

 この日は1190席の会場に対し、数日前、テレビ中継がある前の時点でチケットが招待を含めると800枚出ていたため、ひょっとしたら満席になってしまうのでは、と心配された。二年前のアリス・紗良・オットの時は、前日に「徹子の部屋」へアリスが出たため、当日券が100枚近く出ている。13日にNHKに出ていることを考えれば、それと同じ状況は想定されるのである。また、ノエの父の故郷である棚倉からは80人もやってくる予定だ。

 満席になったら大変だ。せっかくやってきてくれたお客様に、まさか帰って下さいとは言えない。嬉しい悲鳴と言えるかも知れないが、やっている方としては深刻な問題である。

 ただ、この心配は必要がなかった。当日は夕方から天候が悪くなり、思ったほど当日券が出なかった。それでも、テレビ中継後にチケットが出て、会場はかなり席が埋まった。これなら最高のヴァイオリニストを最高の環境で自分の故郷に迎えることができるというものだ。

 7時前になり、すっかり埋まった会場のステージへ、アーティストの登場だ。今回は会津での反省をふまえ、演奏開始を10分ほど遅らせた。これも非常に良かった。

 セットリストは会津公演と全く同じ。ノエは大変レパートリーの広い人であるが、公演内容としては、この曲目がベストだと思う。最初は誰もが知るベートーベンの「春」で始まり、ノエの得意曲、イザーイに移る前にMCが入る。実際このイザーイは名手・ノエの腕前がさえ渡る聞き所なのだが、ポピュラーな曲ではないので、この辺の配置は納得ができる。会津でもそうだったが、公演の後で、イザーイの曲を指し、「これが一番良かった」と言った客がいた。

 会津同様、遅れてきた客を中に入れるのは大変だ。こういうことはどこのクラシックコンサートでもあるのだが、この会場は二階席というものがなく、後ろからなだらかに降りていくような構造になっているので、遅れたお客様は後ろから入れ、これもスムーズに決まった。

 それにしても観客の方々のマナーはいい。日頃はあまりクラシックに馴染みのない方も多いので、楽章の間に拍手が入ってしまうのはご愛敬。それでも、みんなきちっと静かにこのコンサートを楽しんだと思う。前回のアリスのときもそうだが、福島県の他から来た人びとはマナーの良さに驚かされるという。それはコンサート慣れしていない観客が、むしろ緊張感を持っているからだろうと思う。

 第一部が終わり、二部からはポピュラーな曲が並ぶ。ノエはそれらをマイクで解説していく。ドボルザークの「ユーモレスク」の際は、「これは鈴木社長のお父さんの好きな曲です」と言ってくれて大感激!涙が出そうだった。

 いよいよ最後の「チゴイネルワイゼン」に入り、コンサートは大団円を迎える。鳴りやまぬ拍手にアンコール二曲。私の娘達がステージに上がり、花束を渡した。終了後は会津と同じようにサイン会を行い、二人が丁寧にサインに応じていた。

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 この後、市内のレストランで打ち上げが行われた。当社スタッフとノエ夫妻、藍インターナショナルご一行様の他にCD製作会社のマーキュリー社長など、関係者が勢揃いだった。

 隣に座ったノエに、本日はいつにも増してすごく情熱的でしたね、と言ったら、「今日は最後でもあり、持てる力を全て出し切りました」と言われた。実際、多くの客から「すごい演奏だった」、「やはり、なかなか良かった」と絶賛された。

 当社スタッフは日頃経験できないコンサートの立ち上げを最初から行って感無量。二次会まで行ったスタッフもいた。彼女らに話を聞いたら、相当感激したらしく、ここから離れたくない、というものだった。その気持ちはわかるし、これだけ協力してもらったことは心から感謝したい。

 

10月16日

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 午前11時、須賀川のホテルから郡山へ向かう。本日は東京で一泊し、明後日国へ帰る予定である。

 最後に撮った写真が上記の一枚。これで長いツアーも終わった。

 

 のべ20日近くに渡るツアーであり、ノエもスミジャさんもスタッフも私もお疲れ様だった。みんな大変だったと思う。

 しかし、こういうコンサートを行う意義は大きい。こういう経験はそう何度も体験できない。パンフレットにも書いたが、私が好きな大指揮者フルトヴェングラーは、「芸術は大衆に向かって語りかける」といった。しかし、今日、本当に「大衆に語りかけられる」芸術家はそんなにいるだろうか?大衆と芸術をつなぐ役割を担ったことは嬉しいし、それをできる技量をノエは十分に持っていたのだと思う。

 また、ツアー全般を通してノエの芸術に対する厳しい姿勢と、それとは裏腹の周囲に対する心遣いの優しさを感じた。

 最初の頃、会津中央病院で演奏したバッハは、本人にとって納得いくものではなかったらしい。すぐに郡山で練習を行っている。会津公演では、客が入る5分前まで練習を行った。体力が続くかとこっちが心配になるくらいに練習は長かった。音楽に対する厳しい姿勢には感服させられた。

 一方、周囲に対する気配りは、芸術家としての厳しい姿勢と全く反する優しいものだった。長い間、一度も怒りの感情を見せることはなかった。実は演奏に納得できず、練習を繰り返すようなときであっても、それをこちらに感情として示すことはなかった。周囲と順応する姿勢を常に失わなかったのは、まさに人柄だと思う。自分には厳しいが、他人には優しいという感じだ。

 スポンサーとして一番感激したことは、当社の本社工場でパガニーニを演奏してくれたことである。世界的な芸術家の演奏を、当社の従業員は間近で聞くことができた。そんなクリーニング業者は、他には存在しないだろう。

 個人的には、先代である私の父は、クラシック音楽愛好家であり、SPの時代から音楽を聴いているファンだった。ことにヴァイオリンは自身も演奏していた経緯があり、とりわけ造詣が深かった。須賀川での公演の際、父親の大好きなドヴォルザークのユーモレスクを、ノエは、「これは鈴木社長のお父さんが好きだった曲です」と言ってくれたとき、鳥肌が立つ想いだった。そういう気配りを忘れない人なのだ。それを20日間も持続してたのだから、すごいという他はない。

 また、ノエを支える奥さんのスミジャさんも、演奏をしっかりとサポートしてくれるグッド・パートナーだった。年上の奥様で、自身も優れたアーティストでありながら、ノエを支える姿勢を常に失わなかったことに感激させられた。素晴らしいパートナーである。

 優れた芸術家は、優れた人柄の持ち主でもあった。これからも応援していきたいと思う。