14、終戦の混乱と公職追放指定
「ハワイ・マレー沖海戦」の前後、英二は特殊技術を生かした作品を数多く製作していった。「加藤隼戦闘隊」、 「雷撃隊出動」、といった軍記物から、西遊記を扱った「エノケンの孫悟空」、元寇が題材の「かくて神風は吹く」、中国を舞台とした「阿片戦争」などの作品の中で、英二の特撮技術はフルに発揮され、戦時下の貧困の時代、国民に数少ない娯楽を与え続けることになった。これらの作品の中で、英二は戦後の作品と何ら変わらない水準の特撮技術を見せており、この時点で英二の特殊技術は、諸外国の作品と比較しても、相当な水準に達していたのである。
昭和19年の作品に「雷撃隊出動」がある。海軍の勇壮な雷撃隊と扱った映画であるが、映像は前線での厳しい闘い、兵士達の哀しみ、大国を相手にした悲壮な状況ばかりが延々と描かれており、少なくとも「戦意高揚」という印象は全く見受けられない。戦時下の窮状をこれでもかと表現されている各場面は、見るものの涙を誘う。英二達は戦意高揚作品ばかり製作していたわけではないのであり、戦時下では軍の検閲があって思想は弾圧されていた、という現代の一般認識が本当か?と感じさせる異色作品である。
しかしながら、日本は確実に敗戦への道を辿っていた。戦時下での英二最後の製作作品は「アメリカようそろ」というものである。ある漁村で訓練をしていた兵士達は、地元の漁民と仲良くなるが、命令が下り、全員が特攻していくというもの。この作品の製作中に終戦が来て、この作品は未完となった。
戦争映画や教育映画を多く製作していた英二ら映画人にとって、敗戦のショックは大きかった、これからどんな時代が来るかわからない・・・。英二らはそれまで撮影したフィルムをすべて焼却してしまった。
戦後、進駐軍がやってきて映画各社の代表者を集め、新しい映画に関する指示を行った。当時、映画は国民最大の娯楽でありメディアであったから、内容の示す影響力は非常に大きかったのである。その結果、時代劇などは製作できなくなり、進駐軍の検閲を受けたものだけが 上映できるようになった。
英二らが戦後最初に取り組んだのは「東京五人男」という喜劇だった。復員してきた五人が織りなす喜劇だが、政治家の腐敗や汚職を暴く傑作であり、この内容は進駐軍を最も喜ばせた。特撮も場面は少ないものの優れた出来映えであり、戦中・戦後と英二の技術は変わるものではなかった。
こういった中、各映画会社に労働組合が結成された。進駐軍は当初、日本の各社に労働組合が結成されることを歓迎した。労働組合のような民衆の活動が、戦時中までの軍国主義を撤廃するだろうと考えられたからである。しかしながら、当初は民主化の一つと考えられていた 労働組合結成は、現実には民主化と大きくかけ離れた結果を招いた。共産党が次第に勢力を伸ばし、組合幹部を牛耳ってしまったのである。元々は職員の生活改善が目的であったはずの組合活動は、別の目的を持つものの活動拠点となってしまったのである。これは、政治的なことに全く興味のない英二を大いに当惑させ た。
連日続くストライキは、英二ら純粋な映画人を長く映画から遠ざけた。この事にいらだった英二はある日バリケードを乗り越え、自分の職場へ入ってフィルムの編集など仕事を再会した。英二は映画が好きなのであり、政治的な問題などどうでも良かったのである。
この事はすぐに組合幹部に知れ、英二はスト破りだとされて職場を追い出されてしまった。英二には一生残る屈辱となった。
この後、長引くストに嫌気がさした監督や俳優が「十人の旗の会」を結成し、新たに新東宝の名で映画を製作するようになり、スト自体も進駐軍の介入により鎮圧、終結された。
再び映画が作れると思っていた英二であったが、失望はすぐに訪れた。
進駐軍の占領政策には、戦時中にあらゆる産業の中心的な活躍をした人物をその場から追放するという項目があり、映画界にもそれは該当した。英二は公職追放指定の対象となってしまったのである。
英二はこういう処遇が来るものではと思って終戦後から心配していた。東宝内でも、「誰と誰は戦犯になる、誰は免れる」などと様々な憶測が巡らされていた。だが、遂におとずれたこの処置は、出来れば避けたいものであった。自分から映画を取ったら何も残らない・・・。 英二は途方に暮れた。