映画「ひろしま」

ひろしま

関川秀雄監督、1953年、日教組プロ

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 「ゴジラ2014」の影響で、昭和54年の「ゴジラ」が注目されている。ゴジラシリーズ最初にして最高の傑作「ゴジラ」だが、その作風にはそれまでの様々な映画が影響を与えていることが感じられる。この作品もそういった中の一つ。

 「ひろしま」はゴジラの前年に製作されている。昭和20年8月6日、広島市に原爆が投下され、一瞬にして大勢の市民が殺された。この惨状を後世に残そうと、広島市を中心にいろいろな人々が協力し、製作にこぎつけることができたという。全国の学校の先生達が少しずつカンパして資金を集め、女優の月岡夢路はノーギャラで出演している。監督は「きけ、わだつみの声」の関川秀雄。

 「いかにしてあの日を正確に再現するか」を考えたというが、その思惑通り、まさにすさまじいばかりの原爆による阿鼻叫喚が描かれる。

 戦時下の広島、ある朝、空襲警報が鳴らないのに上空をB29が飛んでいる。不思議がって上空を見上げる市民は、突如として恐怖の閃光を浴びる。

 そこからの地獄絵図は、この手のどの映画よりも陰惨ですさまじい。原爆を表現した映画の中で、一番すごいと思う。ボロボロになって逃げまどう人々、建物に押しつぶされて逃げられず、火災で焼かれる人、川に飛び込み、やがて力尽きて一人一人流されていく女子学生、病院でのたうち回る人々・・・たちまち見ているのが辛くなる。原爆の恐ろしさを嫌というほど表現している。その後に起きた、いろいろな自然災害をも連想させる。迫真の演技とともに、地獄の様なセットを作った人々の努力も称えたい。

 セットデザインは、この後「ゴジラ」に参加する高山良策が担当、音楽は伊福部昭。メインテーマはゴジラで、「帝都の惨状」で流れる音楽そのままである。「ゴジラ」の後でこの作品を見た人々は、ここがルーツとなっていることをすぐに理解するだろう。「ゴジラ」の凄絶な被害場面は、ここでの経験が十分すぎるほど生かされている。ゴジラに蹂躙された東京の有り様は戦後まもなくの「焼け野原」東京を彷彿とさせるが(といって見たわけではないが)、高山良策の「ひろしま」での経験が十分に生かされた結果だと思われる。

 映画の最後の頃で、原爆により戦災孤児となった少年は周囲の助けにより、仕事をあてがわれ就職する。しかし、元担任に仕事場に来ないとの連絡があり、本人を訪ねると、「職場では鉄砲の弾を作り出した。先生、日本はまた戦争を始めるんですか」と悲壮に質問する。戦争はもう嫌だ、という叫びが時を越えて伝わってくる場面だ。少年の痛々しい感情が60年の時を経てこちらに乗り移ってくるかのようでもある。ラストシーンでは、広島の地に原爆で亡くなった人たちが立ち上がり、平和に向けての行進が行われる。全編に流れる伊福部昭の音楽が、悲壮感を一層引き立てる。

 悲しくも感動的な映画だが、せっかく苦労して作られた傑作なのに、当時は「反米的」として配給先から敬遠され、しばらくはほとんど上映されなかったようだ。キネマ旬報にも登場していない。平和への祈りが届かなかったことが悔やまれる。作品の出来から考えれば、あまりにも残念である。

 こうしてこの作品「ひろしま」を見ると、翌年に上映される「ゴジラ」は、当時日の目をほとんど見なかったこの作品に代わり、平和の主張を伝えるため、敵討ちのために登場したようにも感じられる。それほど、作品の印象が似ている。「ひろしま」の翌年、昭和29年11月3日封切りの「ゴジラ」は大ヒット、鬱憤を晴らしたのではないか。「平和の願い」という点で全く一致している印象だ。勿論、初代「ゴジラ」が好きという人には是非見て欲しい作品である。高山良策氏の驚くべき実力を堪能(堪能という言葉を使用してもいいのか、と思えるが)する意味でも重要な映画だ。