シン・ゴジラに見るクリーニング業界

 映画「シン・ゴジラ」が大ヒットしている。単にヒットしているというだけでなく、作品の中での問題提起や社会性も大きな話題となり、この作品を評論する書籍やネットも増える一方だ。好評を博している新ゴジラ作品、なぜこんなに話題になったのだろうか?

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ゴジラの独特な世界観

 そもそもゴジラ映画とは、独特の世界観を持つ作品群である。昭和29年11月3日、最初の「ゴジラ」が封切られた。当時は世界的にSF、モンスター映画が製作された時代だったが、「ゴジラ」は原爆被害を受けた日本独特の視点により、核兵器の悲惨さを訴え、三島由紀夫をして「文明批判の力がある」といわしめた作品だ。この大ヒットにより円谷英二特技監督率いる東宝特撮スタッフは次々と怪獣、SF映画を製作していく。

 特撮映画は日本ばかりでなく、海外でも大受けした。1ドル360円時代の貴重な輸出品として次々と製作されたが、骨まで溶けて死んだはずのゴジラも無理矢理復活させられ、「ゴジラの逆襲」、「キングコング対ゴジラ」、「モスラ対ゴジラ」と立て続けに作られた。ことに、第3作「キングコング対ゴジラ」は日米の大物対決が話題を呼び、観客動員新記録を樹立した。以降、ゴジラ映画は28作も製作されることになる。

 しかし、各ゴジラ映画はベースとして必ず昭和29年の第1作があり、2作目以降はどの作品も「ゴジラ」という怪物がこの世に存在することを前提として製作されている。円谷英二健在の頃は、ゴジラも子供に受け、次第にアイドルとなっていったが、1984年の16作目以降は再び恐怖の対象に戻る。1999年の23作目以降の6作品に至っては、すべてが昭和29年の第一作をベースとして、それ以降の作品がなかったことになっている。6作品すべて「2作目」の世界観なのだ。考えてみれば不思議なシリーズである。

 ただ、こういったゴジラ作品の特徴は、それだけ昭和29年の第一作が傑作だったことの証である。すべてが第1作を超えられないのだ。戦後9年、同年に第五福竜丸の事件があった。まだ戦争の傷跡が残った日本をゴジラが襲う様は、核の脅威を怪物にして表現した側面もあり、日本でなければできない作品でもあった。反面、特撮技術は映画大国アメリカに負けない技術を発揮し、成長過程にあった技術大国日本を象徴している。当時、「ゴジラ」はすべてにおいて斬新だった。製作側の努力もすさまじかった。以降の作品が第一作を超えられないのは当然といえるかも知れない(この辺については、拙著「特撮の神様といわれた男」を参照いただきたい)。

 

ヒットの理由

 「シン・ゴジラ」がこれだけヒットしたのはなぜだろうか?よく言われるのは災害対策映画としてのリアル感、東日本大震災とのシンクロ、作品のテンポの速さである。確かに、巨大生物出現を自然災害ととらえ、政府がどう対処していくか、という視点は興味深い。前半は2011年の震災時同様、総理を始め、「想定外」を連発し、何もできない首脳部が描かれる。これが現実なのだろう。後半は若い世代を中心にしたプロジェクトがゴジラ対策を必死に考え、あの怪物といかに闘うかが表現されている。数ある評論の中では、前半が現実で、後半は虚構であり、単なる理想であるという意見もあった。政治家がこんなにうまくやれるわけはない。しかし、映画はすべからく虚構であり、製作者の描く空想の世界である。その中で、怪獣映画というジャンルでリアル感を表現できたのは成功の理由かも知れない。災害対策はこうするべきだ、という理想の姿を私たちは見せられて、満足したのだろう。一般の意見はこんな感じだ。

 私はいささか違う意見である。この作品こそ第一作の正当なリメイクではないだろうか。

 昭和29年の第一作でゴジラの姿を見たとき、多くの人々はその醜悪な姿を見て「怪奇映画」ととらえたという。今回もシリーズで一番の不気味さ、気持ち悪さである。後年の怪獣らしい格好良さはない。観客へのインパクトで昭和29年以前に戻ったのだ。

 また、怪獣映画で形骸化した自衛隊との闘いも根本から見直されている。命令が出ない自衛隊はなかなか攻撃できない。ようやく攻撃命令が出ると、昔の、弾がさっぱり当たらない自衛隊はここにはなく、機銃掃射も全弾命中している。

 要するに、何作も作られパターン化した怪獣映画を昭和29年以前に戻し、一からやり直したのだ。日本の子供達は怪獣を見て育つ。ウルトラマンを知らない人はいない。怪獣映画は日本人の通過儀礼であるが、その既成概念を、怪獣存在以前に戻したのである。

 人間は感性が重要だ。昭和29年、最初に怪獣が出てきたとき、どう対応したのだろうか?それを現代に表現したのが「シン・ゴジラ」である。斬新でありながら基本に忠実なのだ。第一作の強烈なインパクトを現代に表現したのである。「形」ではなく、「感性」をリメイクしたのである。新鮮さを感じるのはそのためだろう。

 映画にはリメイク作品が多い。しかし、前作を超える発想がないと、なかなか傑作は生まれない。その点で成功したのがまさにこの「シン・ゴジラ」であるといえる。停滞していたシリーズに新しい波を作ったのは大いに評価できる。

 

クリーニングにも斬新さを

 「シン・ゴジラ」の成功は、クリーニング業界もぜひ参考にすべきだろう。

 この世界には、「こうすれば儲かる」、「これを入れたら成功した」という表層的なノウハウが多い、それらの多くを導入しても、そううまくはいかない。上辺だけのノウハウではなく、基本はどうか、根本には何があるのかを真剣に考えるべきだと思う。お客様の品をキレイにしてご満足いただく、という当たり前の行為がねじ曲げられている。基本を追究することが以下に重要か、考えるべきだろう。

 加えて、時代は変わるということを認識しなければならない。昭和29年の第一作をそのままリメイクしてもヒットしない。現代という時代に合わせ、きちんと精査した上で精密にリメイクしたから成功したのである。

 怪獣映画は長い間、形骸化したパターンを繰り返した。結果はじり貧である。新しい発想がないと顧客は興味を持たない。同じことをやっていては、いずれは飽きられる。クリーニングも、あまりにも過去にこだわっていないだろうか?かつて非情に利益性の高かった時代のやり方を今も続けていないだろうか?一度冷静に考えてみるべきだろう。

 クリーニング業界は外からの攻撃に弱い。ずっと外部からの参入者に脅えている。最近では労働組合の登場があるが、ただ脅えているだけでは何にもならない。他の業種に当たり前に存在するものは、当然やってくると覚悟するべきだ。その上で、新しい問題に対処しなければ明日はない。第一作に固執したゴジラ映画のように、需要が拡大した黄金時代のことばかり考えていてはいけないのである。

 

クリーニングの場面も

 ところで、この作品にクリーニングに関わる部分が出てくるのをご存じだろうか?

 ひとつ目は巨大生物登場により、関係者が出動する場面。ロッカーから防災服を出すが、防災服はクリーニングに出しており、包装材がかかっている。防災服も衣料品なので、来るべき日に備え、きちんとクリーニングしておくということだろう。

 次に、主人公を中心としたプロジェクトチームが不眠不休で対策を講じている場面。対策室でずっと過ごしていたため、みんな着替えてもいない。主人公は部屋の女性に、「ハッキリいって、臭います」といわれ、あわてて新しいワイシャツを用意する。ワイシャツは、たたまれて包装されている。タグはまだ付いていて、「タタミ」の補助タグまで付いている。

 一瞬の場面なので、どこの業者に出したものかは判別できない。DVD化されたとき、それが明らかになるだろう。ゴジラ来襲の非常時に変わらず営業を続けていたのは、いったいどこのクリーニング業者だろうか?見上げた根性である。

 (2016.10 ニュークリーナーズ掲載記事)