「円谷英二と故郷、須賀川」講演会
3月5日、須賀川市内で、私が「須賀川知る古会」主催の講演会に招かれ、「円谷英二と故郷、須賀川」の演題で講演会を行いました。「知る古会」は、先の枝正義郎氏(円谷英二の最初の師匠)のお孫さんの講演会などを主催されていますが、その後の企画として私を呼んでいただきました。会場は須賀川市内の「交流館・ぼたん」。
円谷英二、上京のきっかけ
円谷英二は1901年、須賀川市に生まれ、子供の頃から乗り物、とりわけ飛行機が大好きで、15歳の時に飛行機学校を目指して上京しますが、その後、兵役で会津若松歩兵連隊に入隊し、除籍後に帰郷、一端は家業を継ぐ気持ちになります。しかし、東京で枝正義郎らから薫陶を受けた映画への憧れが忘れられず(と、一般にはいわれています)、再び突然上京します。自宅にはこのときの決心をしたためた、「出世するまで故郷には帰らない」という、野口英世ばりの手紙が残っています。
再び上京した理由に関しては、親戚の方から、実家に軍隊上がりの厳しい親戚がいて、それがイヤだったという話も聞かされていますが、この当時、須賀川市に映画館が二つも相次いで開設されたことが大きいと思われます。二つの映画館は中央館と須賀川座。いずれも円谷家から歩いて数分の近距離です。
遂に地元、須賀川市にも映画館ができた・・・。これが円谷英二を再び映画の世界に向かわせた最大の理由ではないかと思われます。
叔父一郎との交流
円谷英二は母親セイが14歳のときに生誕し、16歳のときにその母親が亡くなります。そのため、実際には祖母にあたるナツを「おっかさん」と呼び、少年、青年時代を過ごします。そのナツの息子に当たるのが英二の5歳年上の一郎です。年齢が近いこともあり、兄と弟のような関係となってずっと交流が続きます。
円谷英二の本名は「円谷英一」ですが、実家に戻った際、いったんは今後、家業を継ぐということになり、一郎の弟だから「英一」でなくて「英二」となったのです。これには、親戚筋に大変占いに詳しい方がいたことも関連しています。
上京していた時期、英二は、ときどき「もう故郷に帰りたい」と嘆いている手紙が見つかっています。しかし、一郎は「そんなことではダメだ」と叱咤激励しています。手紙でも兄と名乗っており、この様な励ましがあったからこそ、「特撮の神様」が世に秀でたことを考えれば、叔父の一郎氏の功績も見逃せません。
一郎氏や実家との交流の中では、戦後、公職追放指定などを危惧していた時期、「もう映画が作れないなら、そのときはキッパリやめようと思います」などという手紙も自宅に送っています。不安を抱えていたときの一番の精神のよりどころはやはり須賀川の実家にあったようです。
大昔の映画
講演では英二氏の関わった古い時代の映画にも触れました。「新しき土」では、京都の自宅を出た原節子が歩いていると安芸の宮島にたどり着くという仰天場面で笑いが出ました。このように、戦前の映画などを紹介するのは意義のあることだと思います。この日集まった人たちは比較的50歳以降の方々が多く、そういう層に向けた資料を用意していたので、問題なくできて良かったです。怪獣の話なのかと思って子供が来られたらどうしようと思ってビクビクしていました。なお、会場には古くからの友人も多く見受けられました。ありがたいことです。
円谷英二、須賀川上空を飛ぶ
質問があり、「円谷英二は飛行機で須賀川にやってきたと聞いたが本当か?」というものでした。
これは、戦時下で軍部の教育映画に携わっていた時代、所沢の飛行場から飛行機を借り、親戚の結婚式のお祝いのため、須賀川市を訪れたものです。このとき、円谷家の親戚は、屋根に上って迎えたといいます。
幼い頃からお寺の境内にあった銀杏の木に登り、将来は飛行機乗りになると夢を語っていた円谷英二は、須賀川の上空にやってきて、どのように思ったのでしょうか?
この時代の軍部教育映画作成に関しては、「ゴジラは円谷英二である」という書籍に詳しく書かれています。
教育映画作成の時期について詳しく書かれている書籍「ゴジラは円谷英二である」
大空への夢 上映
講演後、私が1998年に青年会議所で制作した15分ほどの映画「大空への夢」を上映しました。私も見るのは久しぶりでした。これは、当時青年会議所で須賀川市に貢献した偉人達を映画化する試みの一つで、前年に制作された小林久敬の作品が素晴らしく、次は円谷英二で・・・と思い立ったものです。
市内のウルトラマン
震災以降、須賀川市には街中にウルトラマンとか怪獣がたくさんいるようになりました。最初はウルトラマン、ウルトラセブン、ゴモラ、エレキングの4体だったのですが、その後、ベムスター、帰ってきたウルトラマンとか、円谷英二没後の作品に登場するキャラクターが立てられています。2017年5月オープンの新市庁舎玄関にはなんと巨大なウルトラの父が立ちます。その辺に関しても話をしました。
次回は中野昭慶氏
この後、次回の講演会はなんと特技監督の大御所、中野昭慶監督をお呼びする予定だと聞いてビックリしました。中野監督は以前にも青年会議所の活動で須賀川にいらしたことがあります。このように、知る古会の活動内容もどんどん充実していくようです。こういった活動は郷土の偉人を将来に伝える上で本当に重要だと思いました。
おしるこ!
講演後、この会の恒例行事で、参加者におしるこが振る舞われました。素晴らしい会で、本当に良かったと思います。関係者の皆様に御礼申し上げます。