地震報道と風評被害
3月11日、東日本を中心に起こった東北関東大震災は、各地に甚大な 被害をもたらした。マグニチュード9.0という威力はあまりにもすさまじかった。地震による強烈な揺れにより、各地の建物は倒壊し、青森から千葉にかけ、 海岸一帯は未曾有の大津波に見舞われた。地震の被害ばかりか、これによって破損した原子力発電所により、漏れだした放射能が周辺住民に不安を与えている。 そして、被害はそればかりではない。思わぬ形で、風評被害というものが現れたのである。
すさまじい被害
福島県中通り地区の被害は別項に譲るとして、やはり被害が大きいのは海岸一帯である。最高で20メートルを超えるという大津波は、どの地域に置いても想定を大幅に超える規模だった。海岸地域はどこも津波を想定し、避難訓練などを重ねていたのだが、訓練における避難地域まで逃げたとしても、今回の津波はそこをも飲み込む規模である。街も車も船も、何もかもが海に引きずりこまれ、助かるすべはなかった。現在、1万人を超える死亡者が確認され、2万人近い行方不明者が出ているとのことだが、それは警察に届け出られた件数総数に過ぎず、一家丸ごと飲み込まれたような家庭は報告すら上がらない。被害は、まだまだ広がっていくだろう。被害があまりにも広範囲なので、その全容がつかめないのである。
釜石市に行った知り合いから報告を受けた。まさに一面、ガレキ、ガレキ、ガレキだという。復興もなにも、遺体探しだけで手一杯。これで何ができるのかというのだ。すさまじい被害を海外紙は「Hell on earth」と見出しを付けていたが、まさに「この世の地獄」である。
クリーニング業界においても、海岸線に工場があったような場所は機械も海水を被り、二度と使えない様な状態となっている。工場がダメになったくらいならまだいい方で、海岸沿いの街で操業していた業者の方々とは連絡も取れていないところが多い。原町市の業者で地震のつい5日前に会った方がいたが、ずっと連絡が取れないままになっていたら、仙台の親戚の所に避難していると聞 き、安心した。それにしても、襲いくる津波から着の身着のまま逃げ、工場も、家も、財産も置き去りにして生まれ育った土地を離れなければならなかった心境はいかばかりだったろうか。こういう方のように、太平洋沿岸地域に基盤のあった店や工場を持つ業者にとっては、これからしばらくは安否確認の段階だろう。
盛岡市の業者からは、「海岸線に3軒の直営店があったが、津波で流されすべてなくなった。ところが、こういうところに品を預けていた客から賠償の要求があった。どうしたらいいだろうか」という法律相談もあった。地震被害も大変だが、それに伴う賠償問題等も今後多発してくるに違いない。
福島県の事情
こういった地震被害とは別に、福島県では福島第一原発の問題に頭を悩まされている。
地元の人びとに「絶対安全」と宣言し、テレビのCMなどでも安全性をアピールしてきた原子力発電所が、今回の地震によって大きな被害を受けた。地震の規模が大きく、これは「想定外」だった、という人もいるが、「想定」というのは結局未来のことを予想して人が考えたものであり、結局は「外れ」だったのである。多くの人の命に関わるような問題に、テキトーな予想をして外れるとは、なんという無責任な話だろうか?
私は地震の起こった11日、日本折り目加工クリーナーズ協議会の総会が金沢で行われ、そこからあわてて帰ったのだが、道中、ずっとラジオで被害状況を確認している中で、自宅にたどり着く前から枝野官房長官により、原発問題の声明が出ていた。つまり地震直後から原発は問題視されていたのだが、その後の政府や東電のあやふやな発表が、ますます不安を煽っているのである。
燃料棒というものは、放置すれば一万年も熱を持ち続けるというが、それを冷やす冷却装置が地震と津波で故障し、熱を放ち続けている。海水や真水で冷やす作業が行われているが、出てくる放射性物質により、思うように作業が進まない。そのうちに一号機、三号機が爆発し、ただごとではなくなってきた。周囲20キロの人びとは即刻避難を余儀なくされた。後で聞いた話では、なんの準備もなく、いきなりバスに乗らされたという。その後、原子炉の煙が上がっといっては騒ぎ、水を注入できたと行っては安心し・・・と一喜一憂している。こういう不安な日々が、今日も続いている。
日本の歴史の中で初めて、世界でも、スリーマイル、チェルノブイリに続いて三度目という原子力発電所の事故。地震と津波は天災であり、予防以外、人間にはどうしようもない問題だが、原子力発電所の事故は人災である。明らかに人為的な問題で多くの人びとに被害を与えているのだ。
いつまでも落ち着かない原発問題に、地元では怒りも極限に達している。東電副社長が福島県知事を訪れ、お詫びしたいと申し入れたが、県知事はこれを断っている。「東京都の快適な生活のため、放射能漏れのリスクを背負っている」福島県の心情としては当然だと思う。
風評被害の登場
そして、もはや世界の関心事となったこの原発事故は、放射能という見えない脅威のため、「風評被害」という問題を引き起こしている。
福島県は47都道府県の中で、3番目に広い県である。横長で、右から浜通り、中通り、会津地方と三つに分かれている。今回、原発で問題になっているのは浜通りで、原発から半径20キロ以内は立ち入り禁止となってしまった。
ところが、この福島県は放射能汚染が心配だとして、燃料が届かないという問題が起きた。特にひどかったのはいわき市で、ガソリンを積んだローリー車が引き返す等という問題が起こっていたという。放射能に関する知識だけでなく、国土に関する勉強を多くの国民が怠っていることの悲劇である。これが不評被害の始まりだったと思う。
次に、東京都の水源にセシウムが含まれていたと報道された。これは乳幼児には注意というレベルだったのだが、この後、東京都でミネラルウォーターが買い占められるという問題が起こった。そんなに恐ろしい問題ではないと思うのだが、冷静さを失った民間というものは恐ろしい。そんなことで、水が売り切れになってしまうのだ。
そして、地元で悲劇が起こった。出荷制限された須賀川市の農家で、将来を悲観した農民が自殺してしまったのである。無農薬野菜を作り、学校給食などにも出荷していた人だ。いくら無農薬でも、今回の騒動ではどうにもならない。野菜が売れなくなった、と絶望した農家の人の心中は大変だったのだろう。
人類の文明がどんなに進んでも、基本となる人間の感情はほとんど変わりない。些細な噂に惑わされ、一喜一憂している。関東大震災のときにもいろんな噂に翻弄された人びとがいたというが、大地震が起きてみればそれとほとんど変わらない現実がある。特に、現代はネットや携帯など、より大衆的、衆愚的な媒体が幅を利かせている。そういう意味では風評被害は昔よりもはるかに広がりやすいのかも知れない。こういう地震が起こったことにより、改めてそういう実態を知った気がする。
昭和29年、ビキニ環礁で水爆実験があったとき、日本のマグロ漁船、第五福竜丸がその犠牲となり、船長は死の灰を浴びて亡くなった。当時は大変センセーショナルな話題だったが、残りの乗組員は無事であり、大石又七さんはその後漁師からクリーニング業者になってしまった。現在でも、核兵器廃絶を訴えて健在である。水爆に耐えてクリーニング業者になるなど、我々の鑑ではないか!それと比べれば煙が上がったくらいで大騒ぎする今の私たちは、なんだかバカみたいである。
モラルのない業界紙
そういう中、日本クリーニング新聞にとんでもない記事が載った。地震後の当社の記事だが、「工場や店舗が被災し、目下福島第一原発の放射能汚染に脅かされている・・・」と書かれていた。
当社は地震に見舞われたが、ほとんど被害がなかった。当社は工場がすべて用途地域でいうところの工業地域に当たり、こういうところは割と地震被害に強いらしく、若干は如何がゆるんだくらいでそのまま稼働している。強いていえば、ボイラーにつながる部品が一つ破損したくらいで、後はなんの影響もなかった。
それを「被災」だけならともかく、「放射能汚染に脅かされている」とはどういうつもりでそんな文章を載せたのだろうか?浜通りならともかく、私の地域でそんなことはない。私的な文章で申し訳ないが、これは大変不愉快な報道をいわざるを得ない。
現在、あらゆる業種において、風評被害というものは大変デリケートな問題になっている。こちらの了承もなく、なんの断りもなく、この様な文章を公表する日本クリーニング新聞の真意を問いたい。
この様な緊急事態ともなれば、いろいろなことが起こるのだろうが、この際、当業界のモラルというものを問いたい。クリーニングの世界で は、業界紙で素晴らしい、素晴らしいと持ち上げられたものが花火のように現れては消え、消えては現れる。「提灯記事」を怪しまれるようなものもしばしば だ。「空気洗い」だの「オゾン」だの、それこそ業界内の風評被害そのものではないか。クリーニングは本来、人が着ているものをきれいにしてお返しするシンプルな職業。わけのわからない「付加価値」を業界紙が煽るのはやめてほしいものである。
これはこの様に書いた新聞の真意を問いただすことが必要であると思われる。