ベートーヴェン生誕250年・楽聖の生涯
音楽界に革命をもたらしたルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。彼の創造した革新的な音楽は、新しい時代の変化にシンクロしていた。私にとってもっとも聴く機会の多いベートーヴェンについて素晴らしい新書が登場したのでその人生とともに紹介したい(この文章はクリーニング業界団体紙に掲載したものを一部改変して掲載しています)。
若きベートーヴェンの怒り
ベートーヴェンはその名を知らぬ人がいない大作曲家である。昨年(2020年)はベートーヴェン生誕250年に当たり、様々なイベントが計画されていたが、新型コロナウイルスの影響でほとんど中止となった。昨年末、文春新書から出版された「ベートーヴェン 音楽の革命はいかに成し遂げられたか(中野雄著)」は大変秀逸な書籍であり、ベートーヴェンの波乱に満ちた一生を詳細に記している。
1770年、ボンに生まれたルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは幼い頃から英才教育を受けハイドンに師事、作曲家への道を歩み出す。少年時代から貴族に招かれ天才的なピアノの腕を披露、その奏法はかなり情熱的で、ときには鍵盤を破壊するほど激しかったという。
この当時、音楽は貴族だけの娯楽であり、音楽家は貴族に招かれて演奏し、気に入った演奏家は貴族がパトロンとして支援した。貴族中心の世の中であり、ミュージシャンは娯楽係に過ぎなかった。幾たびか演奏会を繰り返すうち、平民に過ぎないベートーヴェンは貴族のおもちゃのように扱われる自身に疑問を持つようになった。単に生まれが貴族の家系というだけで、同じ人間が特別な価値ある存在として扱われることに我慢がならなかったのである。
激変する社会
しかし、ベートーヴェン存命の期間は世界が大きく変化した時代でもあった。イギリスでは産業革命が起こり、経済社会が成立して富裕な市民が登場、音楽を聴くようになった。また、ジョン・ロック、ホッブスらにより啓蒙思想が勃興、フランスでもルソー、モンテスキューらが登場した。ドイツでは文学者らが疾風怒濤運動を開始、社会の中心が貴族ではなくなったのである。
そして1789年、フランス革命が発生、王朝国家は市民により倒された。その後ナポレオンが登場、王様や貴族が世界を統治する時代は終焉を迎えていく。
もともと貴族に疑問を持っていたベートーヴェンは社会の激変に大きな影響を受け、それが作風に反映される。この時期に作曲された交響曲第三番、英雄は、それまでハイドンやモーツァルトが世に送りだした交響曲とは全く違う革新的なものだった。
1805年4月7日、期待を込められて同曲の初演が行われたが、会場からはブーイングが起こった。当時のマスコミは、「人々は長過ぎ、複雑すぎて理解しがたく、あまりにも騒々しい」、「過度な気まぐれや珍奇な表現を含んでいる」などと書き立てた。今日、名曲と称えられる「英雄」も、初演では評価されなかったようだ。新しい時代を切り開く人々は、最初は理解されず、苦労するのはいつも同じである。
苦悩を突き抜け歓喜に至る
ベートーヴェンはその後も旺盛な創作活動を継続するが、そこに病魔が待っていた。聴覚が怪しくなってきたのである。耳が聞こえない・・・これは作曲家には致命的な問題である。クリーニング業者に洗剤がないような話である。
しかし、天才は厳しい障害にもくじけない。自身の苦悩を音楽にも表現し、あの有名な交響曲第五番、運命を作曲する。ジャジャジャジャーンというあの有名なオープニングは、それまで存在しない、全く新しい発想だった。同曲を第四楽章まで聴けばわかるが、怒濤のような第一楽章を経て、最後には猛烈な喜びが待っている。苦悩を突き抜け歓喜に至る、これこそが大作曲家が全人類に向けて発したメッセージそのものである。
運命は交響曲第六番「田園」とほぼ同時期に作曲され、1908年12月22日、同時に初演された。このときも英雄同様、聴衆はあまりに斬新な音楽に付いていけず、ほぼ失敗に終わった。クラシック音楽でもっとも有名な曲が初演で失敗だったのは意外だが、それほど既存の音楽に比べ、斬新、革新的だったのだろう。
その後もベートーヴェンの創作活動は続く。「のだめカンタービレ」で知られた交響曲第七番や比較的小規模な八番を経て、遂に1824年5月7日、ベートーヴェンの集大成ともいえる交響曲第九番、合唱へと至る。第四楽章に合唱が入る珍しい曲だが、詩人シラーによって書かれた、人類賛歌といえる内容だった。「人類は皆兄弟になる」と歌われる歌詞は、日本では年末の風物詩になった。初演は耳の遠いベートーヴェンに代わり、別の指揮者が指揮したが、聴衆はベートーヴェン芸術にようやく追いつき、曲の終了後は拍手と歓声の嵐になった。カーテンコールは4回にもおよび、観客が帰らないので最後は警官隊が出動し、退場を促したという。
交響曲第九番、この曲の創作が後世の作曲家達に与えた影響は絶大だった。シューベルトは「ベートーヴェンの後で僕たちはいったい何ができるだろう」と嘆息を洩らした(ちなみにシューベルトの生家は、現在クリーニング店になっている)。そういうベートーヴェンにも最後のときが来た。第九初演から3年後、1827年3月26日、56年の生涯を閉じる。大作曲家の死を多くの人々が惜しみ、葬儀には二万人が駆けつけたという。文豪ゲーテは「彼が世間に調子を合わせるのをどんなに困難に感じていたか、よく理解できる」と述べた。驚くべき才能を持つ人は一般社会に慣れ親しむことが難しく、ときには邪魔者扱いをされる。これこそが大芸術家の気持ちは大芸術家しかわからないことを端的に示した言葉である。さすが、ゲーテ!
ベートーヴェンを聴くなら
ベートーヴェン存命時はまさに貴族社会が崩壊し、市民が力を持った変革の時代だった。経済活動が勃興し、様々な産業が発達したが、だからこそクリーニング業も世界に伝播し、発展してきたのだろう。クリーニングがもし、貴族だけのような限られた需要しかなかったら、今日のような発展はなかっただろう。
戦後の日本は貧富の差が世界一少ない環境の中で高度成長を続けた。これが世界最高のクリーニング需要を生む原動力になったのだが、第九で歌われた、「人類が皆兄弟になる」という理想が実現すれば、クリーニング業はますます発展するだろう。
さて、そのベートーヴェンを聴くなら、凡庸な指揮者では名曲の真価がわからない。なんといってもドイツの大指揮者、ウィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮で聞くべきである。フルトヴェングラーは20世紀前半に活躍し、ナチス政権下のドイツで演奏したためヒトラー協力者と疑われ戦後は不遇な時期もあったが、残された録音はどれも感動的で他の追従を許さない。1954年没のためほぼステレオ録音はないが、英雄、運命、田園、合唱などの名曲は録音された記録(ほとんどがライブ)がほぼすべて販売されるため、それぞれ約10種類もある。ファンが多く、没後も録音が発見される度に発表されるからだ。最近は最新のテクノロジーにより、悪い録音の音源も修復されている。
第三番「英雄」はたくさんの録音があり、いずれも名演だが、1953年8月26日にルツェルン祝祭管弦楽団を指揮した演奏が極めて素晴らしい。英雄の名にふさわしい、堂々たる迫力が伝わってくる。同演奏は以前より発表されていたが、音が他のものより悪いという問題があった。ところが2019年、信じられないような良音質で再発された。これは同指揮者の他の演奏を凌駕するものである。
第五番「運命」はこれもたくさんの録音があるが、1947年5月27日と1954年5月23日(ともにベルリン・フィル)の演奏が良い。最初から最後まで、激しくテンポが変動するドラマチックな展開で、溜めに溜めて一気にぶっ放すような第四楽章にはすさまじい感動が伝わってくる。
第九番「合唱」は1951年7月19日にバイロイト祝祭管弦楽団を指揮した演奏が昔から同曲の決定版として知られている。人類の残した最高の音楽を、最高の指揮者が鬼気迫る情熱作り上げた、まさに「人類の宝」といえる傑作である。
長引くコロナ禍に我々は疲弊している。しかし、ベートーヴェンのように苦難を乗り越えて人類に傑作を残した人もいるのだ。名曲を聴き、「苦悩を突きのけて歓喜に至る」べく、頑張っていきたい。